top_rogo.gif (16396 bytes)

〈論考J〉 「ポスト冷戦後」の時代を読む

自主化に向かう世界と朝鮮半島

 今、世界が大きく動いている。「ポスト冷戦後(冷戦後の後)」というと同語反復のようだが、文字通り「ポスト冷戦後」というべきターニングポイントを迎えていることを予感させる米国発の出来事が続いている。新自由主義的グローバリズムに起因する世界金融危機、反テロ戦争を看板に掲げたイラク侵略の泥沼化、これらを背景とした大統領選挙での共和党の敗北、朝鮮半島をみても「テロ支援国家」名簿からの削除に象徴される対朝鮮敵視政策転換への動きなどがそれだ。米国による軍事的・経済的一極支配の挫折は、ほぼ20年にわたったポスト冷戦期が、ついに終わりを告げようとしていることを示している。

一極化か自主化か

 ポスト冷戦期のテーマはまさに「冷戦後の世界」であったが、論理的に考えるとそこには大きく二つの可能性が存在していた。

 冷戦は、米ソ超大国を中心とした二つの陣営間の厳しい対立関係とともに、東西対立を根拠に超大国を頂点としてそれぞれの陣営内に形成された支配と従属の関係という二重の構造を持っていた。したがって冷戦の終結は、@一方の超大国であるソ連の崩壊によって「唯一の超大国」となった米国が、世界に対する一極支配を実現する可能性と、A東西の対立関係が解消された条件のもとで、それを根拠に正当化され維持されてきた支配秩序そのものが解消される可能性を提示した。前者が一極化、後者が自主化であるが、この二つの可能性をめぐる対立として、ポスト冷戦期を特徴付けることができる。

 この前者を追求したのが米国であった。ポスト冷戦期米国は、ソ連の崩壊によって生じた力の空白に乗じ、「唯一の超大国」として世界に対する一極支配を目指した。しかし、それが行き着いた先は、冒頭に述べたように覇権主義の挫折と軍事的・経済的影響力の低下であった。逆に、米国に挑戦する国々の台頭と地域統合の推進によって、一極体制ははやくも多極体制に席を譲りつつある。「冷戦後の世界」に対する解答は、けっして一極化ではなかったということだ。

時代を先駆ける朝鮮

 ポスト冷戦期のテーマとその帰趨をみると、これからの世界の方向性が明らかになってくる。それは、いうまでもなく自主化の方向だ。そして、冷戦後の当初から、それをあくまでも追求してきたのが朝鮮だ。

 金日成主席は当時「冷戦の終結は力の政策の破綻を意味し、それは世界の自主化のための重要な前提条件となる」(1992.4.12「ワシントンタイムス記者の質問にたいする回答」)と述べている。冷戦後の朝鮮半島をみても、パワーバランスの変化が、米国の影響力拡大の条件をもたらしてはいたが、一方、米国が支配と干渉を続ける根拠を失わせていたことも事実だ。

 冷戦の終結が、存亡のかかった危機であると同時に、歴史的に被ってきた外部勢力の干渉に終止符を打つ絶好の機会だという時代認識にもとづいて、朝鮮は徹底した自主路線を推進し、逆境を順境に転換させてきた。

 二度の「核危機」を乗り越えた対米強硬策、6.15と10.4を生んだ統一への英断、東北アジアの地域協力体制構築のための対中露首脳外交など、金正日総書記の一連の活動も、このような脈略のなかで位置づけることができる。混迷のなかから、自主の新時代を先駆け、民族の運命を開拓する歴史的壮挙であったといえよう。

 自主化に向かう世界と、統一強盛大国を展望する今日の朝鮮半島は、ポスト冷戦期に朝鮮がかたくななまでに追求してきた自主の道の先見性を物語っている。

 朝鮮の指導思想であるチュチェ思想からの当然の帰結なのだが、ふりかえると、冷戦終結後の世界の論調に、朝鮮のような洞察にもとづいた時代認識が、はたしてどれほどあったであろうか?(韓東成、朝鮮大学校教授、政治経済学部長)(終わり)

[朝鮮新報 2008.12.8]