東京・国平寺で冬至法要 奉納演奏、室内墓苑公開 |
あずき粥で無病息災祈願 東京・東村山市の国平寺で21日、冬至法要が営まれ、朝から夕方までに大勢の同胞、日本市民らが訪れた。参列者たちは、住職の読経を聞いて焼香し、あずき粥を食べながら無病息災を祈願した。この日、108基の墓が新設された供養塔室内の墓苑も公開された。 同胞、市民らが参列
冬至は1年の間で、最も昼が短く夜が長い日。古くから各地で祝祭や行事が行われてきた。朝鮮では、冬至が過ぎてから昼が長くなっていくことから一年の始まりの日として「小正月」「アセ(亞歳)」などと呼ばれ、疫災を払う「赤」にちなんであずき粥を食べ健康を祈ってきた。 この日、国平寺ではあずき粥とともにキムチなども振る舞われ、家族連れや高齢者にも好評だった。 尹碧巌住職は法要で、祖国の平和統一を祈願して建てられた朝鮮寺である国平寺の経緯について語り、代表的な仏塔である五輪塔について解説した。 一般的な五輪塔は、蓮を表した台座の上に地、水、火、風、空を表す石が順に積まれている。これはまさに人間そのものを表しており、「人は死んで自然に返る」ことから、供養塔、墓塔としての意味を持つという。土葬、水葬、火葬、風葬もこうした考え方がもとにある。
解説に続き、河明樹(ソヘグム)、CIFA(歌)、山田貴之(パーカッション)、伊原anikki″L志さん(ギター)が地、水、火、風を表現した歌と楽器演奏を披露した。山田さんはチャンゴの独奏で「火」を力強く表現した。 家族で訪れたある参列者は「住職のありがたいお話を耳や肌で感じさせてくれる素晴らしい演奏だった」と感想を語った。 この日は、改装された供養塔室内に新設された国平寺墓苑がお披露目された。塔地下中央部に、仏像が安置され、左右には90年前に通度寺の竹林禅子住職が写経した般若心経が掲げられている。画家の盧万喜さんの仏画「飛天」も展示された。砂や貝殻などで世界地図を表現し、人が生を終え仙女に導かれて自然に返る様を描写した。 周囲の間には重厚な石で建てられた108基の墓が設置された。家族が入れるよう納骨のスペースが広くとられており、「雨風にさらされないので清潔で安心してゆっくり墓参りができそうだ」と話す人もいるなど好評だった。 同胞の無縁仏を安置
国平寺は1965年に建てられた朝鮮寺。祖国の平和と統一を祈願する建立当初の理念が浸透し、檀家はもちろん、北南、朝・日の交流の場として同胞や市民にも親しまれてきた。 国平寺には現在、在日同胞や日本市民ら約1500位の遺骨が安置されている。なかには無縁仏も少なからず含まれている。 国平寺を開いた柳宗黙大禅師は、異国の地で苦難の末亡くなった同胞たちが祖国統一後、故郷や家族のもとに帰れるようにと、日本各地から遺骨を集め供養してきたという。 住職と在日同胞、市民らのはからいで遺族に返還された遺骨もあるが、引き取り手がいない遺骨も少なくない。 朝日新聞は国平寺に安置されている元「軍属」の朝鮮人の遺骨に着目してきた。2004年には、戦場に連行された後、日本で孤独な死を遂げた元「軍属」の朝鮮人の遺族捜しと遺骨返還に、報道を通じて尽力した。 また、10月21日付夕刊では、「BC級戦犯」とされた朝鮮人を取り上げた。彼は軍属としてスマトラ島などに送られ、日本敗戦後に「BC級戦犯」として懲役10年の判決を受け、ジャカルタ、東京・巣鴨の刑務所などに収監された。仮釈放後は戦場や刑務所で患ったと思われる心の病のため、千葉にある国立の精神科病院で過ごした。家族は朝鮮北部にいたため連絡がとれず、故郷に戻れず家族にも会えないまま亡くなった。 数百位ある無縁仏は今も尹住職によって大切に保管され供養されている。家族を捜して返してあげたいと、北南朝鮮、日本政府に働きかけている。(李泰鎬記者) [朝鮮新報 2008.12.24] |