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〈青少年読書感想文全国コンクール横浜地区〉 「キムの十字架」を読んで 神奈川中高・中3 金雅玲

 第53回青少年読書感想文全国コンクール横浜地区審査で、神奈川朝鮮中高級学校中級部3年の金雅玲さんと李美玲さんが自由読書部門で「優良」に、1年の高蓮希さんが佳作に選ばれた。同地区審査には300点の応募があり、85点が入賞。コンクールは、子どもや若者が本に親しむ機会をつくり、読書の習慣化を図るとともに、その感動を文章に表現することを通して、豊かな人間性や考える力を育み、正しい日本語で表現する力を養うことを趣旨としている。金雅玲さんの「『キムの十字架』を読んで」と、李美玲さん「『ナヌムの家のハルモニたち』を読んで」の読書感想文を紹介する。

過去と未来の架け橋に

 「キムの十字架」。この本は、日本の植民地時代を背景に、朝鮮半島南部の慶尚南道という所で生まれ育った貧しい兄弟、キム・セファンとキム・ジェハを中心に描かれています。

 当時朝鮮は、日本の植民地支配下にあり、日本軍によって田畑をとられ、人々は空いた腹を満たせず、毎日がその日暮らしという状態でした。ですから子どもたちは、学校へも通えませんでした。そんな中、弟セファンは近所の少女ヨンスーに案内されて教会へ通いました。

 しかし、彼の家族、とくに彼の父は、日本軍のキリスト教弾圧を恐れ、彼を山向こうの鍛冶屋に預けました。一方、兄のジェハは、松代大本営地下壕を作る突貫工事のため、日本への強制連行を余儀なくされました。その後、日本での強制労働、解放、なんの前触れもなしに知らされた弟セファンの死。そして弟の死んだ穴の岩壁に、兄が彫った美しい十字架。十字架に刻まれた弟への愛情は、私の心を大きく揺さぶりました。

 私がもし日本人だったら、このキム兄弟の悲惨な運命に、ただ涙しただけかもしれません。しかし、私には紛れもなくジェハやセファンと同じ朝鮮人の血が流れているし、彼らは私がこの世に存在するずっと前に果てた私の先祖なのです。そう考えると、私は「キムの十字架」をただの「本」で終わらせてはいけないと思いました。

 私は、学校で強制連行について学んできました。しかし、自分とは遠くかけ離れていて、強制連行に対する憎しみや、悔しさはぼんやりとしかありませんでした。そういう感情ですら想像で得たものでした。しかし、この本に描かれていた強制連行の実態をジェハやセファンとともに体験することで、その「ぼんやりとした、あいまいな感情」をはっきり捉えることができました。

 日本軍と一部の朝鮮人がグルになり、朝鮮の若者たちを騙し、力づくで船に乗せ、言葉もわからない異国の地へ無理矢理連れて行きました。

 そして日本で炭鉱やダムの建設工事など、一番汚くて、危なくて辛い仕事現場で、奴隷のように働かせました。さらに、十分な食事も与えられず、過酷な労働を強いられ、けがをしたり、病気になっても手当てもしてもらえませんでした。逃げた者は連れ戻され、絶命するまで打ちのめされ、遺体は見せしめのために朝鮮人労働者の前に晒されました。

 やがて戦争が終わり、やっと故郷に帰れると思ったとき、ジェハはセファンもまた松代に連行されていたことを知りました。

 ところが、セファンは、すでに亡くなっていました。異国の地で弟を亡くした兄の悲しみは、家族を心から愛する人間にしか味わえない、なんとも表現できない「悲しみ」、そして、「悔しさ」だったろうと思います。

 ある日突然、家族や故郷から無理矢理引き離され、言葉も通じない所へ連れてこられ、人権などない、物のように扱われた弟。私にも弟がいるので、ジェハの気持ちはよくわかります。私もジェハと同じように弟への愛、悲しみ、悔しさの入り混じった気持ちで弟が死んだ場所に十字架を刻むと思います。そして、心に刻み込むことでしょう。この悲しみを忘れないように。二度とこの歴史を繰り返さないようにと。

 しかし、戦争が終わっても故郷に帰ることのできなかった人たち、亡くなっても故郷に帰れなかった人たちが今も日本で何の補償も受けられずに暮らしています。

 現在日本では、過去に日本が犯した過ちに対する正しい認識を持った人は決して多くありません。「正しい歴史」を教える学校も減ってきていると言います。

 このままでは、いずれ悲しい歴史が繰り返されてしまいます。

 そうならないために、これからはお互いに「強さ」が必要だと思います。

 日本は、過去に自分たちが犯した過ちをしっかり受け止め、謝罪する強さ。

 私たちは、過去の過ちを恨んだり、憎んだりせず、その謝罪を受け入れる強さ。

 お互いを思い合うことのできる関係をこれからは築くべきだと思います。

 私は、ジェハ、セファンの後代。そして、日本で生まれ育った在日朝鮮人として過去と未来の架け橋になることが自分の役目だと思います。

[朝鮮新報 2008.3.7]