top_rogo.gif (16396 bytes)

4.24教育闘争60周年 民族教育を死守 同胞たちのたたかい

4.24教育闘争とは

1948年4月27日 朝聯中央常任委員会声明書

1、日本政府の頑迷な態度によってこのような不慮の事態に陥ったことに対し、われわれは痛憾の意を表すとともに、その全責任は日本政府の挑発にあったことを指摘する。日本政府が解放民族としての在日朝鮮人の特殊性と、在日朝鮮人が解放以降、今日まで三年余にわたり、あらゆる不利な条件を克服しながら遂行した自主的教育事業の厳然たる既成事実を無視し、一朝にしてそれを抹殺しようと学校閉鎖令をだし挑発的弾圧措置に乗りだした暴虐さは筆舌につくし難く、在日六十万同胞および本国三千万民族の憎悪と憤激はもちろんのこと、平和と自由と平等を希求する全世界人民の糾弾するところである。

 このような暴虐に対し在日六十万同胞がどうして沈黙しておられようか! しかしわれわれは問題を最後まで平和的に解決すべく努力した。兵庫での経過をみても終始、合法的、平和的な交渉で一貫したにもかかわらず、日本当局は婦人を含む交渉委員七十三名を不法に検挙し、大衆の憤激をさらに挑発した。閉鎖令の撤回についても岸田知事らが合議し承認したのに、その後に脅迫を云々して、くつがえしてしまった。

 日本政府は、われわれの要求があたかも日本の法と秩序を無視したかのように故意に歪曲宣伝しているが、われわれの要求には少しの無理があったとは思えない。われわれはいつでも日本教育法による私立学校認可を受ける用意があることを宣明した。ただ用語、教材、管理などに対する自主性だけを認めよと強調してきたのである。

 以上のように日本政府は事あるごとに挑発的態度を取り、それによってこのような不慮の事態をひき起こしたのである。

 1、われわれは今回の突発事件と自主教育の確保闘争の継統とは分離して取り扱っているが、日本政府はこの事件を利用し、より強圧的にでてきている。もしそのような態度にでるならば問題の解決は次第に困難におちいる結果を招来するであろうが、それ以降に生じる新しい事態の責任について日本政府に厳重に警告するものである。事件の真相を調査しその善処のために現地調査団を編成して派遣する。われわれ在日六十万同胞は今回の神戸事件に少しも不安、動揺することなく、冷静な態度で、とくに日本官憲の挑発に注意し、最後まで要求貫徹をめざし総力をあげて闘うであろう。(解放新聞1948年5月1日付)

 GHQ(連合軍総司令部)の指示を受けた文部省は1948年1月24日、在日朝鮮人の子どもたちの日本学校就学、朝鮮学校の学校教育法による認可などを求めた通達「朝鮮学校設立の取扱いについて」を各都道府県知事宛に送付。従わない場合は学校を閉鎖するよう指示し、山口、岡山、兵庫、大阪、東京などで閉鎖令が執行された。

 これに対し在日朝鮮人らが各地で集会を開くなど抗議活動が広がった。4月24日、兵庫では県知事に閉鎖令を撤回させた。

 しかし、夜になってGHQが「非常事態宣言」を発令し、朝鮮人に対する無差別検挙・逮捕を敢行。いわゆる「朝鮮人狩り」が始まった。

 こうした弾圧に反対し26日には大阪府庁前で3万から4万人規模の人民集会が開かれ、同胞らが朝鮮人弾圧と閉鎖令撤回を訴えた。だが、大阪市警は放水、暴行で集会参加者を無差別に取り締まり、射撃まで行った。これにより大勢の死傷者が出た。

 翌日、朝聯中央常任委員会は日本当局の弾圧を非難し、自主的な民族教育を守るために最後までたたかうことを宣言した声明を発表した。

 民族教育を守るため命をかけた同胞たちのたたかい、とくに閉鎖令の撤回を勝ち取った4月24日、兵庫でのたたかいに象徴的な意味を込め4.24教育闘争と呼ばれるようになった。

各地のたたかい

1948年3月31日、山口県庁前で行われた抗議集会

 山口県当局は山口県軍政からの強い勧告を受け、3月31日までに「1.24通達」に応じなければ学校を閉鎖すると通告。これに対し3月31日、山口県庁前で1万人規模の抗議集会が開かれた。同胞らは24時間の座り込みで抗議した。結果、県当局は閉鎖令の執行を一時的に停止した。

 岡山県知事は4月7日、閉鎖令を発した。山口での勝利の報を聞いた岡山の同胞たちは即座に全県的な抗議活動を開始した。

 4月19日には岡山県庁前で抗議活動が展開され、県知事との面談の結果、閉鎖の延期、逮捕されていた朝聯岡山県本部委員長の釈放が認められた。

 兵庫では4月14日、県知事との話し合いを求めた朝鮮人の代表ら70人が逮捕される事件が発生。23日には3校が強制的に閉鎖された。これに抵抗した同胞の一部は警官の暴行により負傷し逮捕者も出た。

 24日、兵庫県庁前では1万5000人規模の抗議集会が開かれ、同胞の代表らが県知事と交渉。その結果、県知事は閉鎖令の撤回、朝鮮学校の認可を約束した。しかし、夜になってGHQ神戸管区内に「非常事態宣言」が発せられ、朝鮮人の無差別取り締まりが始まった。

 大阪府当局は3月31日、4月15日の閉鎖を指令。16日には同胞の代表らが府知事に閉鎖令の撤回を求めたが認められず、23日に府内8カ所で、26日に府庁前で抗議集会を開催した。23日には8カ所から同胞らが府庁前に集結し閉鎖令の撤回などを訴えたが、3300人の警官による弾圧で同胞179人が検挙された。神戸での「非常事態宣言」を受け、26日の抗議集会は朝鮮人への弾圧の中止を訴える大規模なものへと発展した。大阪市警は8000人の警官を動員し、暴行を加えるなど同胞を弾圧した。警官の拳銃乱射で16歳の少年が射殺されるなど、多数の負傷者がでた。

「4.24精神」継承

 同胞の団結したたたかいと内外の批判に押され、日本当局は5月5日、民族教育の自主性をある程度認める覚書を朝聯と交わした。

 民族教育を守るためにたたかった同胞たちの精神は「4.24の精神」として、現在も継承されている。49年10月の学校閉鎖令など民族教育に対する弾圧から学校を守るためのたたかいの基礎を成した。

 60年が経過した今も、民族教育や朝鮮学校に対する差別は続いている。民族教育を守るたたかいは、権利拡充の運動、学校支援の運動として国際舞台から日本の各地域にいたるまで広がっている。(取材班)

[朝鮮新報 2008.4.21]