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〈教室で〉 長野初中 中級部日本語 朴勝枝先生

「知る」から「できる」を目標に、生徒の基礎学力を育てる

 広く晴れ渡った青空と薫風に波打つ黄緑色の田畑に抱かれるように、長野朝鮮初中級学校(長野県松本市)は立っている。

 朴勝枝先生(53)は、同校中級部で日本語と数学の授業を受け持っている。この日は中2の日本語の授業をのぞいてみた。

説明文の授業

「心の苦痛」について考える授業をする朴先生

 朴先生は生徒たちにワークシートを配り、「人間だけが感じる人間らしい苦痛」について考えさせていた。教材(吉野源三郎「君たちはどう生きるか」)の主人公コペルくんは、友だちが怖い先輩に殴られそうになった時、自分も殴られると言ったのに友だちを裏切ってしまい、学校に行けなくなるほど後悔する。

 「どんな時、心の苦痛を感じますか?」

 朴先生は、教科書の文章で「心の苦痛」と考えられる部分に青い波線を引くよう指示し、それをワークシートに記入させた。

 「ぼくたちの心は、目に見えない血を流して傷つく、というのはどういう意味だろう?」「愛情を受けられずたまらない寂しさに襲われる。このような経験をしたことがありますか?」

 教材の文章を一つひとつ読み進めながら、生徒たちと対話を重ねていく。教科書には、朴先生の指示に沿って、赤、青、緑色の線が引かれた。

 「人間だけが感じることができる苦痛とは何でしょう?」

 はじめの質問に戻り、答えを生徒自身の言葉でまとめさせる。

授業研究

授業に集中する生徒たち

 朴先生は今、先に紹介した「説明文」の教材に対する授業方法の研究に多くの力を傾けている。過去には日本語の作文、朗読、古典などをテーマに論文を発表し、教研で論文賞に輝いたこともある。

 彼女の話によると、「経験ある教員たちの発表も勉強になるが、若い教員たちの研究からも学ぶことが多い」。そして、「教研で発表されたすべての経験が、民族教育の財産となる以上、それらを積極的に活用しつつ発展させていくことが重要だ」と指摘する。

 ワークシートを利用して本文の内容を要約する方法は、過去、教研で発表された他の教員の経験を踏襲したものだが、朴先生はさらに「接続詞」の使い方に注目して授業を深化させた。新方法導入後、生徒たちの整理能力は目に見えて伸び、その效果を実感しているという。

実力を育てる

句読点に気をつけて読むよう指導する

 朴先生が幼い頃、長野県にはまだ朝鮮学校がなかった。それで中学までは日本の学校に通った。

 「日本の学校に通っていた時は、朝鮮人だということが恥ずかしくて嫌だった。アボジの勧めで高級部から茨城朝高に通い、その時、初めて目が覚めた思いがした」

 朝鮮人としての自覚と誇りを与えてくれたウリハッキョが何より大切な心の拠り所となった。それで朝鮮学校の教師になる夢を抱いた。ところが、いざ教員になってみると、保護者から「朝鮮学校の教育は、日本の学校に比べてずいぶん遅れている」「日本の学校でレベルの高い教育を受けさせたい」との思いがけない言葉を聞くようになった。

 「教育熱」の高い保護者たちは、1人また1人と朝鮮学校の生徒たちを日本の学校へと送り始めた。

 (このままではいけない。朝鮮学校の生徒が、日本の社会で認められる高い学力を持つよう育てなくては!)

 朴先生は生徒たちを「知る」から「できる」水準に引き上げるため、粘り強く指導した。

 「中級部は学力の基礎を築く時期。45分間の授業を通して『わかった』ことを、課題を通して『できる』まで訓練しなくてはならない。生徒たちは嫌がるけど、基礎学力をしっかり身につけてこそ、後でやりたい勉強をもっとできるようになるし、社会に出てからより多くのことを理解し、考えられるようになる。朝鮮学校は遠距離通学をする生徒が多く、それゆえ塾通いも制限されるために、その分まで私がカバーできればと考えた」と胸の内を語った。

 そして朴先生は90年から毎年、日本の作文コンクールに中学生全員の作品を応募し、たくさんの入賞者を育ててきた。それらは生徒たちにとって大きな励みとなり、保護者たちには朝鮮学校の実力が日本の学校の生徒たちに決して劣っていないとの有力な証明になった。

 新校舎の竣工(99年)とともに図書室もオープンし、生徒たちの教育環境も改善されてきた。図書室には子どもたちが好きな「ハリーポッター」シリーズやJリーガー物語、世界児童文学集、古典に至るまでさまざまな本が置かれている。オモニ会から、年間5万円の図書購入用費が贈られているという。

 「これから先、同胞たちを守っていくのは、同胞を守る熱い情熱と、高い実力を持った同胞の子どもたちだ。私たちは、私たちの手で、そうした人材を育てなければならない」

 朴先生は学生時代に自分が与えた課題に苦労していた教え子たちが、大学生になって、「あの時は根気よく教えてくださってありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えに来た時、大きな喜びを感じると静かに語った。(金潤順記者)

※1954年生まれ。茨城朝鮮初中高級学校、朝鮮大学校師範教育学部(当時) 音楽科卒業。長野朝鮮初中級学校音楽教員、高学年担任を経て中級部日本語、数学教員。第14回および第18回中央教研・中高日本語分科論文賞受賞。2重模範教員。90年から毎年、中学生全員を日本の作文コンクールに出品させ、多くの受賞者を育てる。日本語作品集「大樹」発刊。

[朝鮮新報 2008.9.19]