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〈月間平壌レポート -08年10月-〉 金正日総書記の談話に大きな反響

「10.4」1周年、笑顔なく

 【平壌発=李相英記者】朝鮮とロシアとの経済協力事業である羅津−ハッサン区間鉄道および羅津港の現代化工事の着工式を取材するため10月上旬、咸鏡北道の国境都市、羅先を訪れた。

メディアの報道に注目

 4泊5日の羅先出張から帰り、支局で平壌不在時にたまった新聞に目を通していると、金正日総書記が金日成総合大学創立節に際して同大学と平壌鉄道大学のサッカー競技を観覧したとの4日発報道が目に飛び込んできた。

 その後、総書記が9月5日、党機関紙の労働新聞と政府機関紙の民主朝鮮に寄せた談話、「朝鮮民主主義人民共和国は不敗の威力を持つチュチェの社会主義国家である」が10日夜からテレビ、ラジオ、新聞など各メディアを通じて公表された。11日付の各紙には朝鮮人民軍部隊に対する視察報道が大きく掲載された。

  9月5日談話は国内で大きな反響を巻き起こした。談話の日付が建国節の直前ということもあって、建国60周年の意義をいっそう浮き彫りにするものとして受け止められている。

 また、11日に米国が朝鮮を「テロ支援国家」リストから削除する措置を講じるなど、月の初旬から中旬にかけて朝鮮半島情勢でも動きがあった。

 最近、取材先やホテルで、「6者会談はすぐ再開されるのか」「米国の大統領選挙の行方は」「日本の政局はどうなっている?」といった質問を受けることが多い。

 とくに日本については、対朝鮮制裁措置の延長に反対する在日同胞のたたかいが大きく報じられているため関心も高い。労働新聞は、6者会談参加国の義務を履行しない日本に「会談参加の資格はない」と手厳しい。

 平壌市民も、日本政府に対して非難一色だ。中には、「テロ支援国」指定解除問題をめぐる慌てふためきぶりを「ぶざまな姿」だと憐れむ声もあった。

背信行為に怒り

 金正日総書記と盧武鉉大統領との北南首脳対面、10.4宣言発表1周年を迎え、平壌では記念中央報告大会(3日)と討論会(2日)が開かれた。

 元来、宣言発表1周年を北と南、海外の3者共同行事で記念するはずだったが、北南関係の現状をかんがみて各側での分散開催になった。

 平壌での行事では6.15と10.4宣言の意義が強調される一方で、両宣言の履行を拒否し北南関係を悪化させている李明博政権に対する非難が噴出した。

 もちろん、北南関係が全面的にストップしたわけではない。回復の兆しが見えない当局間関係に対して、民間レベルの人的往来と交流は続いている。

平壌で開催された第27回尹伊桑音楽会

 15〜17日まで市内で開かれた第27回尹伊桑音楽会では、同音楽会で史上初の北と南の音楽家による尹伊桑作品の協演が実現した。

 公演最終日の17日、北側の尹伊桑管弦楽団が、南側の尹伊桑平和財団関係者らと訪北したチェリスト、コ・ボンイン氏とともに1976年の作品「チェロ協奏曲」を演奏した。客席からは北と南の演奏家を称える大きな拍手が沸き起こった。

 ほかにも、北関大捷碑記念事業会(14〜18日)など民間団体の訪北が相次いだ。

 しかしこのような民間交流の継続にも関わらず、現在の北南関係は2000年の6.15共同宣言発表以降、最悪の状態にあると言っていい。

 16日付労働新聞に掲載された同紙評論員の一文は「愚かな妄想を追求する勢力とは決着をつける」と宣言、南側の態度に変化がない場合は関係の全面遮断を含めた重大決断を下すことも辞さないという強硬な立場を表明した。

 北側の人びとの目には、李政権の政策が、北南関係を破綻に導く民族背信行為として映っている。

 「話すことは何もない」

 尹伊桑音楽会の席上、関係者の1人は話が北南関係に及ぶと、厳しい表情を浮かべ口をつぐんだ。

秋の収穫

 各地農場で9月下旬から始まった米の収穫作業は、今月の半ばには終わった。 夏から秋にかけて祖国を訪れた在日同胞らの口からは、大水害を被った昨年に比べて今年の農作はうまくいったようだという声がたくさん聞かれた。

 24日に訪れた黄海南道新川郡の白石協同農場でも穀物類の収穫をあらかた終え、脱穀作業の真っ最中だった。同農場も昨年、大雨と洪水によって被害が少なくなかった。今年は大きな自然災害もなく、全般的に農作がうまくいったという。

 今月の中旬までは「観測史上最高」と報じられるほど気温の高い日々が続いたが、下旬からは平年並みに近づいてきた。今年も残り2カ月余。年末に向けてそれぞれの職場で仕事に最後の拍車をかけ、1年を締めくくろうという話が人びとの間で行き交っている。

[朝鮮新報 2008.10.29]