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〈瀋陽 在中同胞コミュニティ -上-〉 在中総連結成、公民が一つに

「言葉に表せない喜び」

 【瀋陽発=呉陽希記者】中国には約1万人の朝鮮公民が暮らしている。1990年代、在中総連(在中朝鮮人総連合会)の結成によって、公民たちの「拠り所」が生まれた。

「大切な拠り所」

 在中総連は瀋陽に本部があり、7つの地域協会の傘下に61の支部を持つ。毎月26日は在中総連瀋陽支部の「学習会」の日だ。毎回50〜60人が瀋陽市にある本部庁舎に集まる。

 「嵐だろうが吹雪だろうが、26日は必ず集まる。どんな予定よりも最優先だ」。黄永斗さん(74)は語る。

 現在、彼は遼寧地区協会会長、瀋陽支部委員長、在中総連常務委員を兼任している。

廉順子さん・在中総連瀋陽支部分会長

 91年の祖国統一汎民族連合(汎民連)在中朝鮮人本部の発足を機に在中総連の活動が始まり、中国各地の公民らは朝鮮の海外公民組織のもとで一つのつながりを持つようになった。それ以前は地域ごとに大使館や領事館と個別の関係を持って活動を行っていた。

 「50年代、すでに学習会のような組織はあった」と廉順子さん(74)は話す。朝鮮戦争の際に中国からの志願軍に参加した朝鮮族の男性と結婚し、1956年に中国に渡った。その年の3月8日、「国際婦人デー」行事への参加を機に彼女の「公民活動」が始まった。個人宅に集まって労働新聞をはじめとする祖国の刊行物を読み、祖国の情勢について語り合った。あくまでも非公式の集会だった。

 このような自発的な活動が、朝鮮公民の組織的な活動として中国政府の正式な認可を受けたのは77年のことだ。「瀋陽学習組織」との名称で、朝鮮大使館とつながりを持ち、勉強会や記念行事などの活動が繰り広げられるようになった。「金日成主席の生誕日や9月9日(建国記念日)などの記念日に行事を行うようになったのもその時から」と黄さん。彼は「瀋陽学習組織」の初代責任者を務めた。毎月26日に集まるという慣例も当時から続いているものだという。

 祖国のニュースを伝えることを主な目的とする同組織は、公民にとって祖国とつながる唯一の場だった。一方で、生活におけるさまざまな問題については「どこで解決してくれるのかわからなかった」と黄さんは当時を振り返る。

 そのような中で、90年代の在中総連結成は「言葉にならないほどうれしいことだった」という。冠婚葬祭など生活上の便宜を図るのは在中総連の重要な活動のひとつだ。「総連結成によって公民たちの拠り所ができた。頑丈な後ろ盾のおかげで、胸を張って暮らせるようになった」(黄さん)。

機関誌「白頭−漢拏」

韓吉洙さん・在中総連宣伝局長

 現在、月に一度の学習会が各地の在中公民の活動において重要な集いの場となっている。

 そこで大きな役割を果たしているのが機関誌だ。名前は「白頭−漢拏」。

 94年1月1日に創刊された。毎月5日に発行される月刊誌で、中国各地の支部や活動家などに配布されている。主な内容は祖国のニュースや各地の公民の活動情報などだ。

 編集責任者の韓吉洙・在中総連宣伝局長(60)が同誌に携わるようになったのは97年から。それまでは黒竜江地区協会の支部責任者として活動していた。

 「祖国のニュースは他のルートでも入手できる。しかし在中朝鮮公民のニュースは他では得るすべがなかった」と韓局長はいう。総連が結成され機関誌を創刊することによって、公民たちは互いの「顔」を知るようになった。「白頭−漢拏」は公民の連帯と連携を深め、活動をさらに活発に行っていくための潤滑油となっている。

 現在、中国各地に60余人の通信員がいる。各地での行事や出来事に関する記事を作成し本部に送ってくる。「各地の情報を編集するときがいちばんうれしい」と韓局長は顔をほころばせた。

「われわれは兄弟」

創刊14年目を迎える機関誌「白頭−漢拏」

 日本当局による在日同胞や総連組織への弾圧が行われていることについて、在中公民らは一様に怒りを隠さない。

 在中総連では機会あるごとに不当弾圧に抗議する声明や談話を発表し、在日同胞に連帯のメッセージを送っている。

 黄永斗・瀋陽支部委員長は、「さまざまな困難を乗り越え組織を守っている在日同胞の姿に涙が出る思いだ。情勢が好転する日も遠くないだろう。金日成主席の遺産である総連を守り抜いてほしい」と話す。

 「われわれは兄弟だ」

 楊永東・在中総連議長(72)は、祖国を離れ海外で暮らす同じ公民として手を取り合っていかなければならないと強調する。

 「困難な状況にも、屈せずにたたかっている在日同胞の勇気と信念に敬意を表したい。同じ祖国の海外公民として力をあわせていこう」

[朝鮮新報 2008.1.30]