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朝鮮の論調 08年 9月

 9月9日、朝鮮は建国60周年を迎えた。平壌では各種行事が行われ、日本でも同胞大祝典(東京、21日)など各地で慶祝行事が催された。一方、日本では福田首相が突然、辞意を表明。政局が混迷している。6者プロセスは、米国による義務履行遅延によって停滞したまま、10月初にヒル次官補の訪朝が報じられた。

−対米 「願いもせず、期待もしない」

 合同軍事演習といった対話に逆行する動きに対して、これまで朝鮮はたびたび警告を発してきた。

 労働新聞は2日に掲載した記事の中で、「南朝鮮で敢行されている合同軍事演習は徹頭徹尾、朝鮮を不意に先制攻撃するための予備作戦、試験戦争」であると明確に規定し、非難した。

 また同紙は24日付の記事でも「米国は朝鮮半島核問題の平和的解決に『関心』があるかのように騒いでいる。それが本心ならば、朝鮮半島において対話の相手方に反対するような無謀な行為を敢行すべきではない」と警鐘を鳴らした。

 そして29日付でも「米国は、言葉では6者会談を通じた朝鮮半島の非核化を云々するが、実際は朝鮮に対する先制攻撃だけを追求しており、対話の陰でその準備の完成を進めている」と指摘した。

 19日には、6者会談と関連して、朝鮮外務省代弁人が記者会見を行った。

 代弁人は記者の質問に答え、米国が「国際的基準」にそった申告書検証問題で騒いでいることに言及し、「6者や朝米間において、文書はもちろん口頭でもこれについて合意されたことは一つもない」ことを明らかにした。

 また、「『テロ支援国』指定解除は米国の義務であり、申告書検証とは徹底して別個の問題である」とも強調した。

 そして、「申告書の検証を掲げて『テロ支援国』指定解除を延期したのは、結局、朝鮮に対する米国の敵視政策をさらに強化するという本心をさらけ出したことになる」と非難した。

 さらに「米国の本性が再び明白になった以上」と前置きしたうえで、「われわれは『テロ支援国』の指定解除を願いもせず、期待もしないし、われわれなりに進めばいいのである」との立場を鮮明にした。

−対日 過去清算 単純な経済的問題ではない

 関東大震災85周年に際し、日本の過去清算への言及が多かった。

 1日には歴史学学会が関東大震災朝鮮人大虐殺を告発する備忘録を発表し、朝鮮占領被害調査委も同日、談話を発表した。また、リビア植民地支配に対するイタリアの賠償金支払やドイツの過去清算方法を具体的に引き合いに出しながら、日本の過去清算に言及する内容も多く見られた。

 民主朝鮮5日付は、「日本の平和意志を測る重要な尺度は過去清算である」との記事を掲載し、労働新聞は18日付に掲載した「過去清算を離れた日本の前途はない」と題する記事で、「われわれが日本から賠償を得るのは、単純な経済的問題ではない。民族の尊厳および自主的権利と関連した重大な政治的問題であり、日本の再侵野望を砕き平和を護るための尖鋭な問題である」と主張した。

 福田首相辞任に関しては1日、短くその事実だけを伝えた。続く4日に民主朝鮮が「混乱に陥った日本政局」と題する記事を掲載。「日本社会に衝撃的な事実が伝えられた」と報じた。

 その中で自民党総裁選に出馬した麻生幹事長(当時)にも言及し、「以前の政権下で総務相、外相を務めたことがあり、その頃に周辺国に対して民族的感情を深く刺激する妄言を発したことのある、保守強硬勢力の代表的人物」と評した。

−対南 「スパイ団事件」 歴代独裁者の常套手法

 にわかに「浮上」した「女スパイ事件」。日本のマスコミも連日のように騒ぎ立てた。これと関連して祖平統代弁人は2日、談話を発表した。

 談話は、「問題の『女スパイ』は、国家と人民に罪を犯して逃走した犯罪者である」と指摘。「歴代の南朝鮮独裁者が危機に陥るたびに『スパイ団事件』をねつ造する常套手法を用いてきた」と強調した。

 祖国戦線代弁人は28日、「北人権特別委員会」設置を決定した李政権を非難する談話を発表した。

 談話は、今回の決定を「執権当初から米国の反朝鮮人権騒動に便乗し、われわれへの中傷に狂奔してきた逆賊の親米事大的かつ反朝鮮対決的な本性をもう一度さらけ出したもの」と厳しく糾弾した。

 今年、朝鮮は建国60周年を迎えた。朝鮮が歩んだ半世紀以上の道程を想うとき、在日同胞にとっては感慨はひとしおである。

 だが今、新世代と呼ばれる多くの若い在日同胞にとって、祖国の存在は空気と違わない。この世に生を授かったとき、すでに祖国が存在していた温室育ちの新世代にとって、亡国民の悲境を想像することは容易でないからだ。

 しかし、われわれにはかつて祖国を奪われた過去がある。その辛苦を身をもって体験した先代と、頭の中で理解するだけの一部の新世代との間には、祖国に対する考え方において徐々に隔たりが広がりつつある。

 在日1世が私財を惜しまず祖国に尽くしたのは、ひとえに亡国の悲哀を知ればこそであり、後代にそのような経験をさせてはならぬと思うがためであった。

 朝鮮建国60周年を迎えた今、在日1世の思いを受け継ぐ者として、祖国が祖国で在ることへの意義と恩恵について、あらためて沈思せねばならないと思う。(韓昌健記者)

[朝鮮新報 2008.10.8]