〈検証 李明博政権の対北政策 -下-〉 統一運動が「利敵」行為に |
軍事独裁時代の手法を踏襲 無差別の連行、弾圧
「(進歩左派の)根はとても深く広く形成されている」(李明博大統領、10月8日) 李大統領のこの発言を合図にするかのように、6.15共同宣言実践連帯など、北南首脳の合意を支持し、平壌、ソウルで開催された共同行事などで大きな役割を果たしてきた民間団体への弾圧が露骨に始まった。幹部らが逮捕され、事務所や自宅に対する捜索が行われた。 前政権時代、民間の統一行事には北と南の当局者も参加した。これらの行事を主管し統一運動を推進してきた実践連帯には、政府から補助金も支給された。このような団体を突如「利敵団体」のレッテルを貼って弾圧するのは、北南関係を6.15以前に逆行させる行為以外の何ものでもない。 6.15時代を「失われた10年」と否定する李明博政権は、反北イデオロギーを政権維持の手段として活用している。 今年上半期、南朝鮮各地で米国産牛肉の輸入に反対するキャンドル集会が行われ、李政権を直撃した。これに対して李政権は、背後でこうした動きを操る左派、親北勢力がいるという「背後論」を流布させ、活動家に対する無差別的な連行、弾圧を行った。 危機に直面した政権が反北対決姿勢を強め、「親北左派勢力」の弾圧に乗り出すのは、過去の軍事独裁時代の統治手法をそのまま踏襲したものだ。 また、統一に反対した過去の軍事独裁政権を美化する歴史のわい曲にも手をつけた。その代表的な例が高校の近代史教科書改悪だ。米国の支配と干渉を正当化する一方、北の制度と6.15以降の北南関係を否定する価値観を若い世代に押し付けようとしている。 相次ぐ強硬派登用 李明博政権は発足当初、北南問題を統括する統一部を廃止し、外交通商部の一部署にしようとした。さすがに野党、市民団体などの強い反発によって廃案となったが、その代わり存続することになった統一部長官に、北南関係を取り扱ったことがない外交通商部出身者を起用した。 金夏中統一部長官は、駐中国大使を2001年から務めた。 「統一問題をその主人公であるわが民族同士ともに力を合わせ自主的に解決していく」(6.15共同宣言)北南関係を、国家間の外交的基準で取り扱うという李大統領の意向が反映された人事だった。 就任直後から、「核問題の進展に合わせて北南関係を調整する」と公言し、民間団体が主催した10.4宣言発表1周年記念行事にも参加しなかった。さらに、「北の10.4履行要求によって関係がおかしくなった」(10月12日)と、当局者対話中断の責任を北に転嫁させながら、対決姿勢をあらわにしている。 李政権下で息を吹き返したのが国防部である。 李大統領の目に留まり、登用された李相熹国防部長官は、「北は目に見える実質的な敵」「対北宣伝放送を中断したことは慎重さに欠けた措置」などの発言を繰り返した。最近も、機会あるたびに「北の急変事態」について言及し、米軍と共同で軍事的に対処していくとの方針を明らかにしている。 また、李政権は10月、まだ任期の残っていた大韓赤十字社の韓完相総裁を更迭し、柳宗夏氏を新総裁に任命した。金泳三文民独裁政権時代に、国連大使や外務部長官に登用され反北騒動の先頭に立ってきた人物だ。 このように、李明博政権は北南関係を扱うポストに、6.15共同宣言と10.4宣言を全面的に否定し、北の政権崩壊を公言する人物たちを起用。その結果、当然ながら北南間対話はすべて中断した。 「失われた5年」に 北側は、李明博大統領に対して再三にわたり対北政策を改めるよう要求してきた。労働新聞10月16日付論評員の記事は、「李明博大統領が今のように米国と極右保守分子の操り人形になって見境なく出しゃばって無礼に振る舞えば、恥ずべき結末を迎えた先の独裁者たちの悲惨な轍を踏むことになる」と指摘しながら、「反北対決の道に引き続き進むなら、やむをえず北南関係の全面遮断を含む重大決断を下さざるをえなくなる」と警告した。 李政権は、その警告さえも聞き入れなかった。 その結果、北側の対応措置によって12月からは軍事境界線を通じたすべての陸路通行が制限、遮断されようとしている。また、12日からは板門店の赤十字連絡代表部と北南直通電話回線が閉鎖された。 「政府の対北強硬政策が(情勢悪化の)原因」(12日、民主党スポークスマン)−6.15、10.4宣言を尊重し、その履行を優先させないかぎり、李政権の5年は「失われた5年」として後世の指弾を受けることになるだろう。(姜イルク記者) 〈検証 李明博政権の対北政策 -上-〉 「吸収統一」路線への回帰 [朝鮮新報 2008.11.19] |