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〈朝鮮史から民族を考える 8〉 朝鮮の変革運動と世界史的課題

主体的成長過程の跡づけを

近代の変革運動=開化派と甲午農民軍

全羅北道古阜にある「無名東学農民軍慰霊塔」

 19世紀の80年代から90年代初の時期に、朝鮮では、国内体制を変革して列強の侵略を防ごうとする勢力が、二つ存在した。一つは革新官僚を中核とした開化派であり、もう一つは東学という新興宗教団体を媒体とした農民の結集体であった。

 金玉均を中心とする開化派は、甲午の農民軍とは全く異なる明確なブルジョア的変革の構想を持っていた。しかし、あいにく開化派の国内基盤は弱く、民衆からも遊離していた。結局開化派は上からのブルジョア改革をめざし、明治維新以後の日本の近代化に倣ったのである。開化派は自主的に政変を挙行することを決意し、不足する財力や軍事力は日本を利用して解決しようとするが、その「利用」の実態は決して主体的なものではなく、ただ安易な「依存」にすぎなかった。このため甲申(1884年)政変の決定的な時期には、日本の態度如何という外的条件の変化が勝敗の決定的要因となってしまう。こういう経過があって、彼らの姿勢はますます国内の反感を買うことになってしまった。

金玉均

 一方、農民層、とくに甲午の農民軍は、政治勢力としてはなお未熟な面を持っていたとはいえ、開化派よりも根底的な変革をめざしていたのは間違いない。すでに朝鮮王朝末期には、自立再生産不可能な貧農層が一般的に存在しており、農民蜂起の主体と指導層は半プロレタリアを含む下層民に移行していた。それはこの段階における社会構造・社会矛盾の特質の反映であった。この特質は、開港後の対日米穀輸出の進展による穀物市場の破壊によって、さらに拡大された。こうして貧農、都市貧民など下層民による反封建・反侵略的な蜂起が常態化していくことになるが、その頂点に甲午(1894年)農民戦争があったのである。

 全琫準を指導者とする甲午農民戦争は、決してブルジョア的近代を志向するような反乱ではなかった。「貧農・半プロなど下層民を主体とした農民軍」がめざしたものは、徹底した平均主義に支えられた「一君万民」的社会の構築であった(趙景達)。現実可能性としても、農民軍側と政府側とのあいだで結ばれた全州和約によって、下からの幣制改革案と上からの改革案が結びついて、自立的な近代化の道が大きく開かれようとしていたが、彼らの闘いは、日本軍と政府軍の弾圧により結局は敗北してしまう。しかしこの闘いは、農民の真の解放なくして民族的な解放はありえないという、以後の朝鮮のみならず、アジアの大多数の国々にとっての変革のあるべき姿を先駆的に示したものとして画期的な意義をもっていたといえよう。

 レーニンが「二つのユートピア」の中で、ロシアのナロードニキ的ユートピア(公正な、均等な土地分割)の歴史的役割について述べたように、甲午の農民軍がめざしたところのものは、西欧や日本におけるブルジョア的変革の見地からすれば「誤り」であり、ただのユートピアであったかもしれないが、世界史的には真理であった。

現在の変革運動=連邦制統一

全琫準

 ところで、たとえば現在の朝鮮の統一問題を考えた場合、これは北南どちらかの体制が、他の一方を自己の体制に同一化させるというようなことでは解決のつかない問題であろう。思うところ、これからは両者とも自己変革を遂げて、たがいに接近していく方向をたどるものと思われる。北の社会主義と南の資本主義が自己を相対化し、かつ互いを尊重しながら、一国家二体制の緩やかな連邦制統一を実現するならば、それは国民国家相対化の布石として、世界史的にみても大きな意味をもつ。

 昨年10月の北南首脳会談と「10.4宣言」は、北南関係の発展と平和繁栄、祖国統一の新しい局面を切り開くための包括的で実践的な内容を示した。この意義についてノーム・チョムスキーは、「世界全般に対する500年にも及んだ西欧支配から、植民地被支配国家がいよいよ真の意味での統合と独立の歩みを踏み出しているという、地球史的意義を持つ」と述べている。

 さらにこの宣言は国連総会の決議でも、「朝鮮半島のみならず広範な地域での平和と共同繁栄を増進するうえで重要な里程標になるものと認定する」と満場一致で採択されている。

 近代朝鮮の変革運動が担わなければならなかった世界史的課題と、現在の統一運動が担うべき世界史的諸課題とは、以上のような意味において、常に「二重写し」(宮嶋博史)なのである。前述の甲午農民軍は、自分たちの担った課題を明確には認識していなかったが、現在の運動においてはその課題が明確に認識されはじめている。両者をつなぐ民衆の主体的成長過程を跡づけることこそ、朝鮮近・現代史研究の最大の課題であると思われる。(康成銀、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2008.1.16]