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高麗時代の橋梁遺跡発掘

大規模な石橋、国内では初

遺跡から出土した高麗初期の青磁の破片と蹄鉄、鉄刀

 高麗時代の高度な橋梁建築術を見せてくれる遺跡が開城で発掘された。

 社会科学院考古学研究所の発掘グループが、高麗時代の石橋だった吹笛橋遺跡を開城市徳岩里で発掘した。

 遺跡は天馬山から南方に流れるコプトル川と、開城市龍興洞を流れるマミ川が合流してサチョン川に流れ込む合流点に東西方向に建てられていた。

 この橋は、高麗時代の首都だった開京(現在の開城)から南部朝鮮地域に通じる主要道路に建設されていた。

 吹笛橋とは「笛をふく橋」という意味。

 発掘過程で、橋の東方部分に南北4筋、東西10筋に置かれた礎石とその間にびっしりと敷きつめられていた支石も発見された。礎石の大部分は、花崗岩を四角に整えて作られたものだ。

吹笛橋遺跡の全景

 また、黄緑色の油薬が塗られた高麗初期の青磁の破片と蹄鉄1つ、鉄刀1つをはじめとする遺物も発見された。

 今回の発掘を通じて橋の規模が長さ約60m、幅6.3m、高さ2.1mであり、東西19の径間、南北3つの径間から成り立った柱−梁式構造の石橋であったことが確認された。

 一方、発掘過程で、橋建設に使われた建築部材を掘り出していた採石場跡も発見された。

 採石場は、橋遺跡から東北方面に50mほど離れた吹笛橋峰西側のふもとにあり、長い期間の採石作業によって周辺より深くえぐられている。

 社会科学院考古学研究所のキム・インチョル研究士(39、学士)によると、善竹橋をはじめとする既成の石橋と比べても高麗時代の吹笛橋遺跡のように規模が大きな石橋遺跡の発掘は国内でも初めてだという。

 考古学者たちは、今回発掘された石橋遺跡は高麗500余年の歴史と文化をよりくわしく明らかにし、朝鮮民族のすぐれた橋梁建築術を内外に知らせるうえで大きな意義を持つと指摘している。【平壌支局】

[朝鮮新報 2008.1.23]