〈第30回在日朝鮮学生「コッソンイ」作文コンクールから〉 初級部4年生散文部門 |
「ひみつの練習」 ある日の昼休み。 ぼくたちの話題は、秋の遠足だった。 「今度の遠足はどこへ行くんですか?」 「昭和記念公園に行きます」 ぼくは、そこには何があるのかと先生に聞いた。 「アスレチックもあるし、コスモスや季節ごとに咲くいろいろな花も見られます。あ、それから、君たちが一番喜ぶ、サイクリングもやりますよ」 「やったぁ! 自転車に乗れるんだ」 友だちはとても喜んだ。 (サ、サイクリング…) 冷や汗が出た。それは、ぼくが自転車に乗れないからだ。 先生は、自転車に乗れるかどうか、一人ずつ聞いた。みんな乗れると答えた。 「敏起は…?」 「補、補助輪がついているのなら乗れます!」 「…」 瞬間、教室は水をまいたように静かになった。 みんなの冷たい視線が、ぼくに集中するのを感じた。ぼくが自転車に乗れないのがわかって、びっくりしたようだった。ぼくは恥ずかしさで顔をあげられなかった。 そんな中で、「敏起は一輪車に乗れるから、ハンドルがある自転車は、もっと簡単に乗れるわよ」と、うちのクラスで一番運動が上手なリエが励ましてくれた。 (そうだ、運動は苦手だけど、低学年の時に毎日一生懸命練習して、やっと一輪車に乗れるようになったんだ。だから、練習さえすれば、自転車も必ず乗れるさ) リエのその一言がぼくの背中を押してくれて、大きな自信を持たせてくれた。 自転車に乗れなくて、ぼく一人だけ遠足を楽しめないのは絶対にいやだった。 (練習しよう。しなくっちゃ) ぼくは固く決心した。 しかし、問題があった。芸術コンクールを控えたサークル練習の真っ只中、練習できる日は、たった一日しかなかった。ところが、その日はまた、インソンがぼくの家に来て、一緒に遊ぶ約束をずいぶん前からしていたのだった。 (どうしよう…?) ぼくはためらった。その日は自転車の練習のため、一緒に遊べないと言うのが気まずかった。インソンがすごく残念がる顔が目の前に浮かんだし、何よりも「自転車の練習をする」と言うのが恥ずかしかった。 「インソン、その日、お客さんが来ることになって、一緒に遊べなくなっちゃったんだ。だからまた今度遊ぼう、ごめんね」 インソンはわかったと言ってくれたけど、安心とともにぼくの心はチクリと痛んだ。インソンに嘘をついたからだ。 (このままで良いのかな?) 次の日曜日、アボジ(父)、オモニ(母)と一緒に、駒沢公園で練習した。 ぼくは心細い気持ちで自転車のサドルに腰かけた。 「敏起、アボジが後で支えてあげるから、お前は前を見てペダルを勢いよく踏みなさい。わかったか?」 初めは怖くて、すぐに足を地面につけてしまったり、ふらふらしながらバランスを取れず、ついには倒れてしまった。 倒れては起き上がり、何度も練習を繰り返した。乗れば乗るほど長い距離を走れるようになった。 アボジが、遠く後に立っているのを見た時に、初めて自分の力で乗れるようになったということがわかった。 ぼくは本当にうれしかった。 アボジ、オモニの顔もほころんでいた。 自信がついたぼくは、サイクリングコースに出て、坂道を走ってみたり、曲がりくねった道も走ってみた。気持ち良い風がぼくを喜んでくれているようだった。 「もう大丈夫だ!」 こうしてぼくの「ひみつの練習」は終わった。 しかし、この「ひみつの練習」は、「ひみつ」にはならなかった。それは、インソンに嘘をついたままだと、ぼくの心が晴れないからだ。 ぼくはインソンに訳を正直に話した。インソンは、快く受け止めて、ぼくを許してくれた。 「ひみつの練習」が、先生やクラスの友だちに知られると、みんながぼくの隠れた努力を褒めてくれた。でも、ぼくはむしろ、こんな自分が恥ずかしかった。 これからは、自分がうまくできないことも、堂々と明かして、それを乗り越えるために努力していこうと思う。 (南武朝鮮初級学校 鄭敏起) [朝鮮新報 2008.1.25] |