top_rogo.gif (16396 bytes)

〈第30回在日朝鮮学生「コッソンイ」作文コンクールから〉 初級部4年生散文部門

「ひみつの練習」

 ある日の昼休み。

 ぼくたちの話題は、秋の遠足だった。

 「今度の遠足はどこへ行くんですか?」

 「昭和記念公園に行きます」

 ぼくは、そこには何があるのかと先生に聞いた。

 「アスレチックもあるし、コスモスや季節ごとに咲くいろいろな花も見られます。あ、それから、君たちが一番喜ぶ、サイクリングもやりますよ」

 「やったぁ! 自転車に乗れるんだ」

 友だちはとても喜んだ。

 (サ、サイクリング…)

 冷や汗が出た。それは、ぼくが自転車に乗れないからだ。

 先生は、自転車に乗れるかどうか、一人ずつ聞いた。みんな乗れると答えた。

 「敏起は…?」

 「補、補助輪がついているのなら乗れます!」

 「…」

 瞬間、教室は水をまいたように静かになった。

 みんなの冷たい視線が、ぼくに集中するのを感じた。ぼくが自転車に乗れないのがわかって、びっくりしたようだった。ぼくは恥ずかしさで顔をあげられなかった。

 そんな中で、「敏起は一輪車に乗れるから、ハンドルがある自転車は、もっと簡単に乗れるわよ」と、うちのクラスで一番運動が上手なリエが励ましてくれた。

 (そうだ、運動は苦手だけど、低学年の時に毎日一生懸命練習して、やっと一輪車に乗れるようになったんだ。だから、練習さえすれば、自転車も必ず乗れるさ)

 リエのその一言がぼくの背中を押してくれて、大きな自信を持たせてくれた。

 自転車に乗れなくて、ぼく一人だけ遠足を楽しめないのは絶対にいやだった。

 (練習しよう。しなくっちゃ)

 ぼくは固く決心した。

 しかし、問題があった。芸術コンクールを控えたサークル練習の真っ只中、練習できる日は、たった一日しかなかった。ところが、その日はまた、インソンがぼくの家に来て、一緒に遊ぶ約束をずいぶん前からしていたのだった。

 (どうしよう…?)

 ぼくはためらった。その日は自転車の練習のため、一緒に遊べないと言うのが気まずかった。インソンがすごく残念がる顔が目の前に浮かんだし、何よりも「自転車の練習をする」と言うのが恥ずかしかった。

 「インソン、その日、お客さんが来ることになって、一緒に遊べなくなっちゃったんだ。だからまた今度遊ぼう、ごめんね」

 インソンはわかったと言ってくれたけど、安心とともにぼくの心はチクリと痛んだ。インソンに嘘をついたからだ。

 (このままで良いのかな?)

 次の日曜日、アボジ(父)、オモニ(母)と一緒に、駒沢公園で練習した。

 ぼくは心細い気持ちで自転車のサドルに腰かけた。

 「敏起、アボジが後で支えてあげるから、お前は前を見てペダルを勢いよく踏みなさい。わかったか?」

 初めは怖くて、すぐに足を地面につけてしまったり、ふらふらしながらバランスを取れず、ついには倒れてしまった。

 倒れては起き上がり、何度も練習を繰り返した。乗れば乗るほど長い距離を走れるようになった。

 アボジが、遠く後に立っているのを見た時に、初めて自分の力で乗れるようになったということがわかった。

 ぼくは本当にうれしかった。

 アボジ、オモニの顔もほころんでいた。

 自信がついたぼくは、サイクリングコースに出て、坂道を走ってみたり、曲がりくねった道も走ってみた。気持ち良い風がぼくを喜んでくれているようだった。

 「もう大丈夫だ!」

 こうしてぼくの「ひみつの練習」は終わった。

 しかし、この「ひみつの練習」は、「ひみつ」にはならなかった。それは、インソンに嘘をついたままだと、ぼくの心が晴れないからだ。

 ぼくはインソンに訳を正直に話した。インソンは、快く受け止めて、ぼくを許してくれた。

 「ひみつの練習」が、先生やクラスの友だちに知られると、みんながぼくの隠れた努力を褒めてくれた。でも、ぼくはむしろ、こんな自分が恥ずかしかった。

 これからは、自分がうまくできないことも、堂々と明かして、それを乗り越えるために努力していこうと思う。

(南武朝鮮初級学校 鄭敏起)

[朝鮮新報 2008.1.25]