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〈朝鮮と日本の詩人-47-〉 菅原克己

非転向政治犯への思い

 なぜ、ソスン君に/ロープをかけなかったのか。/女は青、男は白、/それぞれの囚人服の上に/青いロープがかけられてきたのに、/なぜ、ソスン君にだけかけなかったのか。

 ソスン君のお母さんは顔を伏せ、友だちは息をつめる。/ソスン君は眼鏡ごしに/こっちをさがして/ただ、チラと微笑んだきり。ソスン君の手は/瘤のようになってしまった。/ソスン君のまつ毛のない瞳は/夜も閉ざすことはできぬ。/ソスン君の肉の溶岩は/のどもとまで這い出し、/眼鏡は白ひもで/耳のない頭にくくりつけられてある。

 なぜ、ソスン君に/ロープをかけなかったのか。/なぜ、みんなと同じように/青いロープをかけなかったのか。/ソスン君の傷あとが/今はいたましい、とでもいうのか。/ソウルの第一審、/死刑の判決は二分で終る。/そして/ロープをかけなかった/ソスン君の背後に、/もう一つの/ロープの輪を垂らす。

 「ソスン君のロープ」の全文である。徐勝は1971年に、ソウル大学校大学院修士課程を終えて教養課程部の助手になるはずであったが「北のスパイ」として逮捕された。拷問、焼身自殺未遂、死刑判決という試練に耐えぬいて、非転向政治犯として獄中19年の後90年2月に釈放された。彼が獄につながれている間、日本では釈放要求運動が広く行われた。この詩はそうした運動の中で詩人が直接面会に行った時の印象を詠んだものである。

 徐勝のやけどの傷跡がリアルにとらえられており、それが母親と友人の悲痛の思いをさらなるものにしている。「ロープをかけなかった」のは救出運動のためであった。南朝鮮の非道苛酷な弾圧の現状をえぐり出した作品としてもすぐれている。

 菅原克己は1911年に宮城県に生まれ戦前は共産党員として活動し、戦後詩誌「コスモス」「列島」「現代詩」の同人となって詩作し散文詩にも才を示した。「日の底」「陽の扉」などの詩集を集大成した「菅原克己全詩集」に収められている。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2008.1.28]