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〈同胞美術案内H〉 尹光子 40代後半で絵画を本業に

のびのびとした自然の風景

「落ち葉の頃」 1994年 130.3×162.0(センチ) 油彩 作者蔵

 絵画には画家の心が動かされた物事とともに、それをみつめる画家のまなざしが表現される。

 本作者は自然をどのように見つめているのであろうか。

 ある池のほとり。画面右から暖かな秋の陽光が射す。細いが、しかし画面の中で一番太く力強い木が、この光を気持ち良さそうに浴びる。陽のあたらない部分にはくっきりとした陰を持つ。

 この木を境に向かって左には小道、右には池が広がる。細い小道には陽光とそれを遮る植物によって、横縞模様ができ、鑑賞者の視線はそれをたどりながら画面向こう側へと導かれる。一方の池には、青空を背景に、木々が大きな曲線を描く。それらは水辺に生息する植物の群落と共に、静まり返った水面にもう一度その姿を現す。縞模様と曲線が静かな秋の風景に軽やかなリズムを与えている。

「初夏の賦」 1995年 130.3×162.0(センチ) 油彩 作者蔵

 さらに色を見ると、秋を告げる黄色や茶色が画面を彩っている。身にしみる寒さに色を変えた無数の葉や、小道を覆う落葉たち。画面右上に力強く伸びる枝の茶色。そこに残る小さな葉は、緑と黄色の細かな点で表現されている。そしてこれらを、澄みきった空の青が引き立てている。暖色と寒色。それらの共鳴が画面を彩っているのである(「暖色」は人に「暖かい」というイメージを与える色、同じく「寒色」は人に「冷たい」というイメージを与える色をいう)。

 のびのびとした自然の風景と静謐さを湛える空気。それぞれをまとめているのは、画面縦方向に力強く伸びる木々と、横方向に描かれた影や、水面の細波である。垂直と水平。これらが画面をまとめているのである。

 このように鑑賞を続けると、ひとつ大事なことに気がつく。それはこの画面に描かれた対象が、全て均一に捉えられているということである。どれを主人公とするでもない。暖かい光や、ふさわしい色を、描かれたそれぞれに均等に与え、さらにそれらを響き合わせる。これがこの画家の目が捉えた自然の姿であり、自然に対するまなざしである。

 さらにこの画家が女性であるというわれわれが決して看過してはならない事実がある。在日朝鮮人の女性美術家の場合、とくに1世、2世が少ない。「女性には論理的思考力がない」「結婚したら男性に従うべき」。このような考えが押しつけられていた時代。社会が作り上げたある不確実な規範に、個人の一つの属性を無理矢理照らし合わせ、その能力と可能性をどれだけ過大・過小評価してきたであろうか。その影でどれだけのものが抑圧され、諦められ、そして失われたであろうか。今回の作品と、参考作品のみならず、今回の美術家の作品群が、時を越えて時代の事実を語り続けるであろう。

 作者は尹光子(1935−)。福島県生まれ。40歳後半から絵画を本業とし現在に至る。「第一美術協会」「日本美術家連盟」「朝鮮民主主義人民共和国美術家同盟」盟員、「在日女流展パラムピッ」「女流彩雅会」に所属。今回の掲載に際し、「第9回女流彩雅展」(ギャラリーくぼた本館2階)で話を聞いた。(白凛、東京藝術大学美術学部芸術学科在籍・在日朝鮮人美術史専攻)

[朝鮮新報 2008.1.30]