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〈本の紹介〉 猪飼野路地裏 通りゃんせ

1世オモニたちを包む応援歌

 あたりまえに教育を受けて、読み書きができて、計算ができて、もちろん買い物にも行って、切符を買って電車にも乗る。誰しもこんな日常に足をとめて、振り返ってみることはないだろう。

 しかし、本書に描かれている1世の年老いたオモニたちの姿は、私たちにそのあたりまえのことがいかに大変なことかを知らせてくれるのだ。

 生きるために必死で働いて、子どもを教育して振り向いたらすでに老境の身。文字を知らなかったためにさまざまな屈辱、不便さを味わったことだろう。そこで一念発起して、毎夜遅くまで夜間中学で学ぶオモニたち。本書の筆者は夜間中学の講師として、そんなオモニたちを温かく見守り、やさしく教え、自らもそのたくましい生き方に感化された在日2世。その細やかな描写に1世のオモニたちへの深い愛情がにじむ。

 「年老いて、毎日休まず通学するのは大変なことです。昼間、家内業を終えて来る人、町工場で肉体労働を終えて来る人、自分で小さな商いをする人、ほとんどの人が何らかの形で働いている人達です。家の都合や仕事の都合、体の具合とか、毎日来られない障害もたくさんあるのです。天王寺夜間中学校(天中夜間)に通学して、文字の読み書きを習いに来ていることを家族や近所の人に内緒にしている人もいます。

 『この年になって、文字習いに行っているのわかったら、恥ずかしいんや』

 『年いって字習てなにすんねん、言われましてん。せやから誰にも言わんと、黙ってきてますねん』…」

 半生を差別や偏見とたたかいながら生きてきたオモニたちが、文字を習おうと必死でがんばっても応援する人ばかりではない。一部の無理解やからかいにも耐えねばならない。

 本書は、そうしたオモニたちを包む応援歌でもあり、また、時には鋭い観察眼となって私たちが生きる社会に警鐘を鳴らす。

 例えば−「自動販売機、切符、定期券、売り場、案内所、出入口、右側、左側、改札口…」。あるオモニのプリントに列記されていた文字。昔は窓口でお金を出して切符を買えたのが、文明の利器・自動販売機になってからは、文字の読み書きができない人は切符も買えなくなった。世の中が便利になればなるほど、日本の社会の底辺に生きてきたオモニたちはどんどん置き去りにされていっている−と。

 「同胞社会」を「心のふるさと」だと感じ、そこに身を置いてきた人だけが語れる深い思いに打たれる。

 著者自身少女時代働きながら高校、大学に通った経験が、1世のオモニたちへの共感のまなざしとなって息づく。(金香都子著、風媒社、1800円+税、TEL 052・331・0008)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2008.2.2]