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〈第30回在日朝鮮学生「コッソンイ」作文コンクールから〉 中級部2年生散文部門

「オモニの資格試験」

 「ハングル検定」試験の案内をもらった。

 私は正直、「英語検定」試験や「漢字検定」試験なら受けてみようかとも思ったけれど、「ハングル検定」なんて関心がひとつもなかった。それになんだか難しい感じがして、私には何の関係もないものと勝手に決め付けた。だからその案内状を家に持ち帰っても、オモニにチラッと見せた後、ゴミ箱に捨てた。

 なのに、思いがけないことが起こった。オモニがその紙をゴミ箱から拾って読むと、こう言うのだった。

 「春紅、ハングル検定なんやけど…受けたら? 実はオモニも受けようかと…」

 「えっ?!」

 思いがけない言葉に、私は口をあんぐりとあけた。

 「え? オンマが? ハングル検定を? …資格を取るなら『ケアマネージャー』とか、もっとぴったりな資格試験がいくらでもあるやん。あえてハングル検定をなんで受けるの? ハハハ…」。笑いながらも変な汗が出た。

 「あかん!! オンマは『ハングル検定」を受けたいねん」

 真剣な顔にはなぜか緊張が浮かんでいた。

 私はオモニがなぜ「ハングル検定」を受けようとするのか理由が知りたかった。それでオモニから話を詳しく聞いてみた。

 私のオモニは初級部から大学に至るまで朝鮮学校に通った。学生時代に一番好きだった科目がウリマル(朝鮮語)を学ぶ国語だったと言う。なのに卒業して約20年…。最近、ウリマルが思うように出てこなくて、ウリマルを忘れてしまったようでとても悲しく、胸が痛むようだ。

 オモニの言葉に耳を傾けていた私の頭の中にはある場面が浮かんだ。弟が5年生になったある日…。弟は、作文の宿題をしながら知らない単語をオモニに聞いた。「オンマ、『よりによって』はウリマルで何て言うの?」と言いながら、作文のノートを渡した。「うん?! …何て言ったっけ?」。そう言って、1分、2分…、5分頭を悩ませて、しまいに辞典を引いてやっと答えを教えていた。ウリマルだけは自信があるといつも鼻が高かったオモニだけに、弟の質問にすぐに答えられなかったのがあまりにショックだったのか、オモニは失望感に包まれた顔をしていた。

 またある日、ハラボジと話していたオモニが困った顔をしたときのことがふいに思い浮かんだ。私のハラボジは故郷を離れて日本に渡ってきた1世である。長い間岡山県で総連支部委員長もして、同胞たちのために働いてきた。そんなハラボジが使う言葉は、いつ、どこでも、ウリマルだ。もちろん私と話すときも、アボジと話すときも、オモニと話すときも100%ウリマルなのである。ハラボジのウリマルは私が使うウリマルとは何だか少し違う。それで私はハラボジが何を話しているのか、たまにわからないときがある。それはオモニも同じだった。オモニから見るとお舅さんであるハラボジの話を聞き取れないと言うのは大ごとだった。

 それでオモニは、「ハングル検定」を機会に、ウリマルの勉強をまた始め、もっと深く、もっとよくウリマルについて知りたいのだと言った。私はこんなに真剣なオモニの表情をはじめて見るようで驚きを隠せなかった。

 次の日、学校へ行った私は、すぐに国語の先生に、オモニも一緒に「ハングル検定」試験を受けられるのか聞いた。その瞬間、両目をまん丸にして驚いた先生は、「え?!」の一言だけだった。

 私は「ハングル検定」を受けたいと言うオモニの思いを繰り返し説明した。すると先生は、「わぁ! 春紅のオモニは本当に立派やなあ! 春紅と一緒に準2級を受けたいとは。心配無用。学校で、資料とCDをみんな貸すから…。このようなことは東中で最初で最後かもしらんなあ」。

 先生の言葉を家でそのまま伝えた。するとオモニは、あぶら汗をかきながら、「どうしよ! 不合格やったらほんまに恥ずかしいやん!」と取り乱していた。学生時代に戻ったように恥ずかしがりながらうろたえるオモニの姿を見て、私は爆笑した。

 するとオモニは、「心配せんとってや。春紅よりいい成績で、必ず合格するから! あんたも調子に乗ってたら泣くで」。威勢よく言って、オモニは笑った。

 この日からオモニと私の勝負の幕は上がった。1日、2日、3日…。勝負に勝つため、オモニと私は必死に勉強した。すごく楽しかった。

 4日目…。その日から運動会の練習が始まった。私は家に帰ってくると、全身が溶けてしまいそうな疲れで、「ハングル検定」の存在自体、頭から消えてしまった。

 オモニはどうか…。

 私が学校から帰ってくるたびに見るオモニの姿は、ウリマルを勉強する姿だった。熱中すると言うより、楽しみながら勉強していた。そんなオモニに私は飾らず聞いた。

 「オンマ、『ハングル検定』の勉強がそんなに楽しいん?」

 「ウリマルをもっとよく知ることができるから、あんたたちにウリマルをもっとたくさん教えてあげられるようになると思うとうれしいねん」

 その一言が今も私の胸に響いている。

 そうだ! オモニの資格試験で一番大切なのは、子どもたちにウリマルを楽しく学ぶ手本になることなのだ。だからオモニは電車に乗り、自転車に乗って往復2時間もかかる遠いウリハッキョ(朝鮮学校)に私を通わせているのだ。

 こう思うと、負担に思っていた朝鮮語の勉強も楽しくなり、学校に通うのも誇らしく思えてうれしい気持ちになった。

(東大阪朝鮮中級学校 朴春紅)

[朝鮮新報 2008.2.8]