top_rogo.gif (16396 bytes)

〈デイサービスセンター・エルファを訪ねて〉 「なんて酷いことをしたか」

 デイサービスセンター・エルファで朝鮮人の方のお話を聞くことができました。

 その方の両親は、小学校に行ったことがなくて字を書くことができません。だから、せめて子どもにはと思い経済的に無理をしてまで子どもを小学校に入れてくれました。今のような給食はないためにお弁当持参でした。いくら国が近くても食文化の違いがあって朝鮮の食べ物でいじめられてしまいました。その食べ物がいまや日本人の大好きなキムチやホルモンです。無理やり弁当箱を開けさせられて「朝鮮人は食べるものがないからこんな臭いものや牛の腸を食べているぞ」とからかわれて、からかわれるのは嫌だからおかずを抜いて学校に行くと今度は「おかずがないから食べられないだろう」と言われ、弁当箱に砂や水を入れられました。「私たち、朝鮮人が日本人に対して何か悪いことをしたか」とすごく悔しそうでした。

 卒業してからも差別はなくなることはありません。機織の工場に就職して毎日朝から晩まで働かされても食事や賃金は日本人に比べて少なかったそうです。辞めようにもほかに雇ってくれる所がなくて辞めることができません。結婚して育児に集中するために専業主婦になりました。そのとき少しだけ変化が訪れました。近所では朝鮮人だからという差別が減ってきました。もちろんみんながそうではありませんが。子どもはクラスでいじめられ、夫の仕事の賃金は安かったそうですが少しずつ時間とともに変わっていきます。

 最後に「今、楽しいことはなんですか?」と聞くと、孫がこの日本にたくさんいて、孫と会うのがすごく楽しいと言っていました。幼い頃にひどいことをされていたのに国に帰らず日本にいる理由がそれです。

 その方の今の願いは国が関係なく世界の人全員が仲良くしてほしいとのことでした。こんなに心の優しい朝鮮人の方に私たち日本人はなんてひどいことをしてきたのだろうと思いました。

 帰る前に「私の話を聞いてくれてありがとう」とこんなひどいことをしてきた私たち日本人にその方が言ったときすごく胸が痛みました。

 50年近く経った今、私たちの年代の日本人はこういうことがあったということをいったい何人の人が知っているのでしょうか。もっとよく知っていき、二度とこういうことがあってはならないと思いました。(林博美=仮名)

[朝鮮新報 2008.2.13]