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〈民族楽器のルーツをたどる ウリナラの楽器 @〉 伽倻琴

「幅広い民族音楽」を実現

12弦の伽倻琴

 祖国−朝鮮から民族楽器が送られてきて早40余年が過ぎた。それが私たち在日同胞の民族楽器の歴史の始まりといえよう。小さな手に楽器の温もりを感じたのが昨日のようで、時の流れの速さを感じさせる。

 私もこの歴史の中にいるのだ。古代シルクロードを通して個々の国に渡来した楽器は、自国の風土や特徴に合わせて発展し根づいてきた。そして民族の心が染みこみ奏でるたびに心がゆれるのであろう。

 イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー(1889〜1975)は、過去に朝鮮は「歴史を恨む国」と、表現している。なぜなら度重なる外敵の侵略と、植民地時期、戦争と分断を体験したからだ。その歴史の中で生きつづけた人々は、侵略に抵抗する不屈の精神を身につけ、比類ない独特な文化と特異な精神を生みだし、精神文化への知識を深めたとも言っている。

伽倻琴は固有の弦楽器の一つであるカヤッコともいう

 その代表的な物の一つに「伽倻琴(カヤグム)」がある。その音には「恨」だけではなく、民族に対する誇りと、何事にも屈しない民族の力、楽天的であり文化を愛した民族の心が秘められている事を忘れてはならない。

 「三国史記」によれば伽倻国の嘉実王が楽師(演奏者)于勒に命じ、十二弦琴とその楽曲を作らせたのが始まりとされるが、4世紀以前のものと推定される新羅の土偶に伽倻琴を演奏する人の姿が飾られており、また中国の文献に三韓時代に既に固有の弦楽器があるという記録がある事から6世紀以前に既に存在していたと思われる。嘉実王自ら制作したとも書かれている。

 于勒は6世紀の大伽倻ソンヨルの人で、伽倻国滅亡ののち、新羅に亡命。弟子それぞれに琴、歌、舞を教えながら、伽倻琴曲12曲を作り、自ら奏で広めたという。

 于勒が伽倻琴に託して見開いた物こそ「楽而不流」「哀而不悲」(楽しくして流れず。哀しくして悲しまず)の精神だとされる。

 「恨」を奏でようとしたのではなく、「恨」から解きはなたれようとする想いを、伽倻琴の音律としつづけた。それは今も変わることはない。

 伽倻琴は、正樂伽倻琴(法琴ポックム)を演奏するための楽器と散調伽倻琴の2種類が伝えられた。正樂伽倻琴は新羅時代から存在して来た原型のもので、 散調伽倻琴は散調と民俗樂の演奏をする朝鮮後期に改良されたものである。19世紀末頃に生まれた散調により楽器の特徴が活性化された。この2種類の伽倻琴の構造はほとんど同じだが、大きさ、音域、音色および演奏する方法が異なる。

 いまでは19弦、21弦、25弦と改良された物も多く使われている。朝鮮では、西洋音楽との違いやそれぞれの特性を比べながら「幅広い民族音楽」を強調している。民族音楽は伝統音楽をそのまま継承したものではなく、その性格を土台として新たに創作された音楽を指すとされ、躍動的で洗練された音楽も数多く作られた。楽器の改良も1960年代から現代的に改良する活動を本格的に行ってきた。5音階の民族楽器を12半音階にする事で演奏の幅が広がり、古典はもちろん、さまざまな音楽を演奏できるようになったとされている。

 人の声にもっとも近いとされる伽倻琴は、在日同胞にももっとも愛される楽器であると言えよう。(康明姫・民族音楽資料室)

[朝鮮新報 2008.2.15]