top_rogo.gif (16396 bytes)

立教大学文学部100周年記念行事「詩人尹東柱とともに」 

「同化」と「排除」 変わらぬ日本、尹東柱の詩と生涯を考える

尹東柱が足を運んだと思われる立教大学のチャペルで行われた追悼セレモニー

 植民地時代に生きた朝鮮の詩人、尹東柱の没後63年の命日にあたる16日、東京・池袋の立教大学内のチャペルで、立教大学文学部100周年記念行事「詩人尹東柱とともに」(主催=詩人尹東柱とともに集う東京の会・2008準備委員会、詩人尹東柱を記念する立教の会)が開かれた。

 尹東柱は1942年4月、立教大学文学部英文科に留学し、その後同志社大学に編入した。日本の植民地政策による朝鮮語の禁止、神社参拝や創氏改名の強要、強制連行など、暗黒の時代に、民族への思いと平和への願いを込めた詩を、禁じられた母国語で毅然と書き続けたが、同志社大学在学中に治安維持法違反の疑いで逮捕され、福岡刑務所の独房で獄死した。

 27歳の短い生涯だった。

 1部追悼セレモニーでは、祈りが捧げられた後、大橋英五・立教大学総長、任軒永・韓国尹東柱文学思想宣揚会「序詩」編集主幹、李潤基・同顧問ほか、尹東柱の甥である尹仁石さんのメッセージが紹介された。続いて尹東柱の詩「また別の故郷」「星を数える夜」「序詩」「たやすく書かれた詩」が、詩人や韓国尹東柱文学思想宣揚会代表および後援会長、学生などによって、それぞれ朝鮮語と日本語で朗読された。

基調講演の一場面

 2部の基調講演では、井田泉・京都聖三一教会牧師が「尹東柱の詩と信仰−立教時代に書かれた詩−」について講演。同氏は、尹東柱が立教大学在学中に書いた「たやすく書かれた詩」の中で繰り返している、「六畳の部屋は他人の国」という一句を取り上げ、「尹東柱にとって日本は単に故郷ではないという意味だけではなく、自らの名前、歴史、文化、精神を葬らなければ生きることを許されなかった国であった。その『他人の国』日本は、異なるものを同化するか、よそ者として排除するかの片方しか知らない。現在の日本のありようはどうか」と、当時と変わらぬ現状を厳しく指摘した。

 3部シンポジウム「尹東柱の詩−その〈抒情〉と抒情を超えるもの」には、詩人の金時鐘さんと佐川亜紀さん、そして井田泉さんがパネラーとして参加した。

 金さんは、「尹東柱が詩に目覚め、詩を書いて生きていた当時は、何もかもが『聖戦完遂』『内鮮一体』の国策スローガンになだれていく熱狂の時代。彼はその熱に浮かされるような詩を一行も書くことがなかった。むしろ戦時体制に背を向けて時代から失われていくもの、疎まれるものをいとおしくひそかに歌った。そういう詩を書きとおしたという点で、逆にすぐれて政治的であり、それは強い意志に支えられた殉教的ともいえるものだった」と述べた。

 また、佐川さんは「尹東柱の詩にはキリスト教による西洋近代的個人観が見られる。尹東柱は、民族支配、時代の抑圧状況とともに近代的自我の葛藤も表現した。近代的自我は民族の近代性にとって重要な問題。彼の詩は、日本軍国主義に対する抵抗であり、また、民族の内部批評性や人間の普遍的なテーマに至るものである」と話した。

 尹東柱が立教大学在学中に足を運んだと思われるチャペルで開かれた追悼の集い・公開講演会には、約200人がつめ掛けた。(文=金潤順記者、写真=文光善記者)

[朝鮮新報 2008.2.20]