〈朝鮮と日本の詩人-49-〉 城郁 |
静かな夜に響くアリラン 千葉県高根台公団住宅入り口に ミノ レバ モモ キムチ トーフチゲ カストロひげを顔いっぱいにはやした店の主人は 「歌」の全文である。この詩がつくられたのは1963年である。千葉県船橋市にある高根台公団は61年に日本住宅公団が建設したもので、いわば公団造成のはしりとなった団地である。詩人がこの団地に住んでいて、時折「朝鮮料理をたべさせる小さな店」で食事をとったことがうかがえる。その当時は、朝鮮料理はまだあまり一般的でなかったと思われるが「トーガラシがきいている」という1行で、詩人は朝鮮料理の特質を抽出し、それが朝鮮への愛着をあらわしている。ひげ面の主人は「よくたべ」「強い酒を飲む」習癖からして1世の在日同胞だと見ることができる。その彼のうたう「アリラン」が、深夜に遠くひびくという余韻をもって、詩人は1世の望郷の念をそこはかとなく詩行にただよわせている。在日1世の生活の一断面をとらえた社会詩として記憶に残る作品である。 城郁は1932年に奈良県に生まれ18歳の頃から詩を書き始めた。早大国文科に学んで「早稲田詩人」の同人となった。村野四郎に師事して第一詩集「畸型論」を上梓して、師から「戦後に現れた一異才」と激賞された。代表作の一篇「百日紅の花」は「関東大震災50周年亀戸事件・朝鮮人犠牲者追悼集会のために」と献辞された、全9連64行の社会詩である。この詩は「定本 城郁詩集」(1988年青磁社刊)に収められている。(卞宰洙・文芸評論家) [朝鮮新報 2008.2.25] |