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国立交響楽団の歩み 困難乗り越え独自の発展

 【平壌発=呉陽希記者】ニューヨーク・フィルの平壌公演を機に、交響楽に対する関心が国内で高まっている。

 朝鮮の交響楽の歴史は長くない。

 解放直後の1946年8月8日、金日成主席が全国に散らばっていた芸術人を捜し出して、中央交響楽団(現在の国立交響楽団の前身)を結成したのが朝鮮における交響楽の始まりだ。

 結成後、初めて演奏された曲は「金日成将軍の歌」だった。北朝鮮共産党中央組織委員会庁舎で同楽団初の公演が行われた。

 1970年1月26日、同楽団は金正日総書記の発起により、120人あまりで構成された3管編成管弦楽団に発展し、今日まで国内最高峰の芸術団体として君臨している。

 朝鮮の管弦楽、交響楽に対して、国内では「チュチェ的配合管弦楽」「ウリ(われわれ)式交響楽」という言葉で表現している。

 朝鮮交響楽の発展において画期的転換点になったのが、1960年代末だ。一部の人びとが外国の交響曲を最高のものとし、「教条的で事大主義的な見解と観点」(労働新聞2月24日付)にとらわれた結果、楽団は解散の危機に陥ったという。

 このような時期に、朝鮮労働党中央委員会で文化芸術部門を指導していた金正日総書記が「チュチェ的配合管弦楽」の創造を提起した。人びとの間でよく知られた民謡と名曲を編曲する形で交響楽を創作する、管弦楽編成法において民族楽器を主体とし洋楽器を組み合わせる―などが主な内容だ。長い期間にわたって民族楽器の改良作業も進められた。朝鮮ではこの時期を「朝鮮式音楽発展の新しい章」(労働新聞2月24日付)、「チュチェ的交響楽発展の新しい道」(民主朝鮮2月5日付)と規定している。

 この過程で交響曲「ピパダ」、管弦楽曲「青山里の野に豊作が来た」「アリラン」、ピアノ協奏曲「朝鮮は一つ」、バイオリン協奏曲「思郷歌」などの名曲が完成した。最近では交響曲「主席は永遠にわれわれとともに」、交響組曲「先軍長程の道」など国内で「名作」と称される作品が作られた。

[朝鮮新報 2008.3.5]