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〈同胞美術案内I〉 成利植 即興的な作品に込められた時代の息吹

弾む形と響きあう色

「風景」 1961年 53×65(センチ) 作者蔵

 解放直後の美術家たちの足取りはほとんど知られてない。美術家に関するまとまった資料は最も古いもので1962年の「画集」であり、それ以前のものはほとんどない。解放直後の美術家の動きを知るには当時の画家に聞くのが有益である。

 在日朝鮮人の組織的芸術活動は都内の椎名町に始まる。ここは「池袋モンパルナス」と呼ばれ、芸術家が大勢集まる場所であった(モンパルナスはフランスの地名。20世紀初頭から世界中の芸術家が集まった)。

 解放直後、「池袋モンパルナス」の噂を聞きつけ、在日朝鮮人画家もここに集ったという。異国の地で美術を志すもの同士が互いに暖め合い、夜通し議論し合い、組織を作り、制作に励み、1940年代末の「朝鮮美術協会」の結成へとつながる。その原点がここであった。

 今回の作品「風景」はこのころを知る画家・成利植(1930〜)の作品である。絵の基本要素を確認しながら鑑賞することとしよう。

「風景」 1961年 53×65(センチ) 作者蔵

 絵画を成り立たせているもの、それは「線」と「色」である。これは人類の長い歴史の中で生まれた美術作品すべてに共通する「絵画の本質」である。近現代以降、この「線」と「色」に着目し、気の遠くなるような追求を試みた美術家が現れる。「四角い画面に、『線』や『色』をいかに美しく配置するか」−。この時、絵画表現の新たな可能性が広がることになった。

 本作品に目を移してみる。

 画面横幅ほどの広い道が、中央で大きく旋回する。その先の朱色の家は四方型で、画面の中で右下がりの斜めに構えている。画面上部には水色の空が広がり、電柱の間を渡る細い電線が、あるいは張り、あるいはたわみつつ、画面上部を自由に往来している。家の前には身をよじる2本の木が描かれ、その前には幾重にもなる柵が大きな丸を描く。それぞれがなんとも楽しいそうな「線」である。

 さらに「色」を見る。左記の「線」と、そして豊かな「色」との共演が繰り広げられている。道の土色。その両脇の深い黄みどり色。踊る木のみどりと、家の朱色。澄んだ水色の空を背景に立ち並ぶ家々の壁は、まばゆいほどのクリーム色である。

 絶妙なバランスによって配置された「線」と「色」。これらによって表現されるのは、描かれた対象の溢れんばかりの生命力であり、表現の主人公である芸術家の存在である。

 祖国解放以降、異国に住む在日朝鮮人が激動の時代を生き抜ける中、美術家たちは在日朝鮮人たる自己の表現を絵画という視覚造形芸術によって実現していた。ここにキャンバスを立て、目に見えるものをほとんど即興のように描いた本作品。その「線」や「色」が、この作品の持つ意味を、現代、そして後世の在日朝鮮人に問いかけ、語り続けることであろう。

 作者は慶尚南道昌寧出身。朝聯期に結成された「朝鮮美術協会」(1947年結成)に当初より参加。1949年に武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)に入学、油彩画を学ぶ。同校の同級生であった在日朝鮮人画家・表世鐘(本連載第3回参照)と知り合い、無二の画友となる。これまで連載で取り上げた画家らとも親交があった。独特の画風を好んだ。行動美術展、モダンアート展(東京都美術館)に出品。大田区山王在住。作品は都内の広尾が舞台であると、当時を振り返り感慨深く語った。(白凛、東京芸術大学美術学部芸術学科在籍・在日朝鮮人美術史専攻)

 ※本コーナーでは、在日朝鮮人美術家に関する情報をお待ちしております。

[朝鮮新報 2008.3.5]