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〈人物で見る朝鮮科学史−48〉 世宗とその時代F

3大医学書編さん、盧重礼

「郷薬集成方」

 医学は天文学とともに、古代から普遍的に発展してきた科学分野といえるが、世宗時代には朝鮮の3大医学書といわれる「郷薬集成方」「医方類聚」が編さんされるなど大きな発展があった。そして、その中心的役割を果たした人が盧重礼である。ただし、彼の生い立ちや経歴は具体的には知られていない。それは彼が両班ではなく中人階層に属する人だったからである。中人とは両班と常民の中間に位置する階層で、おもに天文官・医官・訳官などがそうであるが、両班貴族たちは彼らを蔑視していた。世宗の厚い信任を受けた盧重礼は、そんな社会状況の中で曲折多い人生を歩むことになる。

 郷薬とは朝鮮産薬材のことで、高麗時代にその研究が深まり「郷薬救急方」が編さんされたことは以前に紹介した。また、1397年にも「郷薬済生集成方」が編さんされているが、その研究が飛躍的に発展したのは世宗時代である。世宗5年(1423年)に郷薬62種を中国の薬材と照合した結果、多くの品種で名前が同じであるにもかかわらず別物であることが判明した。そこで1427年に盧重礼は世宗の命を受け、朴允徳とともに朝鮮全土の薬材を集め鑑定を行うとともに、翌年には中国に赴き中国産薬材との比較を行った。それにもとづき薬材の名称・採取法・保管法などを簡便に記述したものが「郷薬採取月令」である。さらに研究を重ね、959種の病気に対する処方10706項目と針灸方1479項目、そして郷薬702種を収録し1433年に出版されたのが「郷薬集成方」(全85巻)である。

「転女為男法」の郷薬

 「わが国の山海には豊富な薬材があって、人民の生活と緊急に病気に役立つものばかりである。昔からわが人民は一つの薬草で一つの病気を治してきたが、どの薬草もよく効く。このように蓄積された人民の経験と昔の医書に記録されている、もっとも的確なものを余すところなく記して人々の健康増進に役立てようとするものである」という序文は、この医書の性格を如実に示す。ただし、なかには迷信的なものがあり、例えば「転女為男法」という妊婦が男子を産むための処方も詳しく紹介されている。

 「郷薬集成方」が朝鮮の薬学を確立したものならば、当時までの153種の医書を総合・整理した「医方類聚」は東洋医学を集大成したものである。なかには今日に伝わっていない40の医書もあり、貴重な資料となっている。編さんは1445年に終えたが、あまりにも膨大なためその校正に時間がかかり、全266巻・264冊の活字本として出版されたのは約20年後の1477年のことである。「医方類聚」はいわば医学辞典のようなものであるが、このような性格の医書としては世界最初のもので、スペインで「医学および外科学辞典」が出版されたのは1807年のことである。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授)

[朝鮮新報 2008.3.7]