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〈朝鮮と日本の詩人-51-〉 窪田章一郎

朝鮮戦争への憤り込めて

 いつ止むとなき戦する韓国の乏しき収穫に寒き冬来む

 米兵の血はもう流すなといらだてる将軍の肚も言葉にて聞く

 韓国の兵は人間のかずならじその血流せといひ放つ将軍

 軍需品つくりて生きつぎいる国とおちぶれ果てぬ敗れしのちも

 あたらしき戦争配置に組み入れられどうにもならぬ日本となれるか

 夜の坂を上りつつ見る遠き星かくのごときか平和のねがいは

 右の6首の短歌は「軍需品製造」と題してまとめられた9首のうちから選んだものである。いずれも1952年につくられ朝鮮戦争をテーマにしている。「米兵の血は−」という歌は、この戦争でいかに多くの米将兵が戦死したかを、米将軍のいらだちの言葉で表現している(朝鮮の正式発表では米軍の死傷者と捕虜は39万7千にのぼる)。

 「韓国の兵は−」は、米侵略軍の弾よけにされる「韓国軍」が米国の傭兵であることを見抜いた、この歌人の炯眼を示す1首である。第4首と5首は、今日の日本が米国と一体となってイラク戦争に加担していることの予言的作品だといえなくもない。朝鮮戦争は後方基地として日本が武器の修理や軍需品を調達しなければ戦うことのできなかった戦争であり、旧軍人が参戦したことも今では秘密ではない。敗戦でどん底にあった日本経済が朝鮮人の流す血によってよみがえったことを、私たちは決して忘れてはならない。

 窪田章一郎は1908年に、歌人の空穂(うつぼ)の長男として東京で生まれ、早大国文科に入学して短歌を志した。処女歌集「初夏の風」はかなり遅く、1941年に上梓されたが、歌集は全部で9冊ある。紹介した「窪田章一郎全歌集」(1987年 短歌新聞社刊)に収められている。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2008.3.10]