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〈人物で見る朝鮮科学史−50〉 世宗とその時代H

朝鮮最古の農学書編纂、鄭招

「農事直説」

 社会が発展期に入り始めると例外なく人口が増加する。ウリナラの場合でいえば、植民地解放直後がそうである。では、それ以前はというと世宗時代がやはりそうであった。

 人口が増加すると必然的に食糧問題が重要となり農業の発展が伴う。では、世宗時代にはどのような発展があったのだろうか。それを端的に示すのが、現存する朝鮮最古の農学書である「農事直説」の編さんであり、その作業を主導したのが鄭招である。多才な人材が輩出された世宗時代であるが、そのなかでも鄭招は多方面でその才能を発揮した人物といえるだろう。

 18世紀の実学者・李肯翊が残した野史「燃藜室記述」では、彼が非凡な記憶力の持ち主であったという次のような逸話を伝えている。

 ある時、金剛経を読経する僧に向かって鄭招は「すぐに覚えられそうだ」と言った。僧はそれが本当ならば自分が馳走し、できなければ鄭招が馳走するようにと言った。そこで鄭招が木魚を叩きながら読経を始めたところ、それは淀みなく水が流れるごとくであり、僧はそのまま逃げ出した。信憑性はともかく、鄭招の才能は伝説として長く語り継がれたのである。

金弘道の農耕図

 さて、1429年に鄭招らが編さんした「農事直説」は、一言でいえば先進的農業技術の解説書である。昔は収穫を終えるとその田畑の地力を回復させるために休耕地としていたが、土地の有効利用のために毎年の作付けが必要となる。そこでさまざまな技術が導入されるが、その代表が肥料である。

 朝鮮では1300年代には肥料を用いるようになったが、「農事直説」では肥料について詳しく述べるともに、肥料が準備できない場合の方策として耕地や輪作などを紹介している。耕地は文字通り効果的な畑の耕し方、輪作は同じ畑でたとえば穀類のあとに豆科の作物を栽培するというものである。

 穀物は窒素と燐を栄養物として摂取するが、豆科の作物は空気中の窒素を土壌に取り込み、また下層の燐も吸い上げるので土壌の肥沃度を維持することができる。これは一例であるが、輪作は2種類だけでなく数種類の作物を用いる場合もあった。

 鄭招はこのような優れた農業技術を、当時もっとも農業が発達していた慶尚道・全羅道・忠清道の農民たちから収集し「農事直説」を編さんしたのである。それ以前は中国から伝わった「農桑輯要」や「四時纂要」などを主な参考書としており、ゆえに「農事直説」は朝鮮農業技術の出発点といえる。世宗はこの「農事直説」を1420年に鋳造された「庚子字」を用いて印刷し、全国に配布させた。ちなみに、日本で印刷出版された最初の農業技術書は1697年の宮崎安貞の「農業全書」である。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授)

[朝鮮新報 2008.3.21]