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〈朝鮮と日本の詩人-53-〉 新川和江

寒がらぬ傷の淵を

 公州から扶余へ/バスの窓外には棚田がひろがり/あちこちで農夫たちが/田植えの支度に余念がない

 耕運機をころがす若者から離れて/身をかがめ畔塗りをする老爺/中国の水田地帯を旅していた時にも/よく目にした/わが郷里 筑波山麓の平野でも

 五千年 土を耕し生きてきた民族の/腰の曲がりだ/なつかしくも涙ぐましい/東洋の曲がりだ

 遠くギリシャの収穫祭の傍らをめぐり/帰ってきて「曲がりの美学」を説いた詩人(注 西脇順三郎)も/こしひかりの国新潟の産/枝の曲り 水路の曲り/すべての曲りに美は存在すると

 桐の花が咲いている/幼い日 わが生家の裏庭にも咲いていた花/この半島の娘たちも/桐で拵えた箪笥を持たされ 嫁ぐのか

 北と南/祖国を直線で真っ二つに分断された人々の/塞がらぬ傷の淵を/通過するだけの無力な他国者たちを乗せて/バスはこれまた真っすぐに走り/そのかみの百済の都/扶余へ入る

 「扶余へ」の全文である。第1連から第3連までは、朝鮮と中国と日本の牧歌的な農村の叙景でありながらも、「民族の腰の曲り」「東洋の曲り」という詩句で、日本のアジア侵略を暗に批判しているとも読める。詩人の詩心は最終連に凝縮されている。朝鮮分断の現実に胸が痛み、日本人にも責任があるという7行にこめられた自責の念が、この詩が単なる抒情詩ではないことを証している。

 新川和江(旧姓斉藤)は1929年に茨城県に生まれた。県立結城高等女学校の在学中、近くに疎開してきた詩人西条八十に師事して詩を書き始め、24歳の時に第一詩集「眠り椅子」を上梓して認められた。詩、合唱集、エッセイ、紀行文などを多く発表し、女流詩人として重きをなした。「新川和江全詩集」(花神社 2000年刊)がある。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2008.3.21]