〈同胞美術案内〉 連載を終えて たくさんの応援に励まされ |
激動の時代刻印する作品の数々 「私は在日朝鮮人美術史を専攻しています」と自己紹介するたびに、「研究するほどの在日朝鮮人美術家がいるのか」とよく聞かれます。今回、連載を打診された時、「この機会を逃してはいけない、ここでその質問に答えよう」と強く思いました。 自信を持って引き受けた連載でしたが、実際に始めてみるとなかなか筆が進まず、夜を徹してやっとの思いで書き上げた原稿がほとんどになりました。「もう断念しよう」と思ったことも一度や二度ではありませんでした。しかしそんな中でも私がこの連載を無事終えることができたのは、先の初心のほかにもう一つ、連載の過程で多くの方々から寄せられた応援メッセージがあったからです。 素晴らしい出会い 連載第3回の表世鐘氏の原稿が掲載された直後、群馬に在住されるある同胞から連絡がありました。「僕が東京中高に通っていた頃の美術の先生だよ。いや〜、懐かしい」。この何気ない一言がどれだけ励みになったかわかりません。そのほかにも、朝鮮大学校美術科の先輩・後輩、そして美術に携わっている日本の方々からもたくさんの激励のメッセージをいただきました。 またこのような読者からのメッセージのほかにも、例えば、全哲氏(連載第7回)のご遺族からは1回の原稿では紹介しきれないほどたくさんの資料を提供していただきました。このような関係者からの好意は、この連載と研究に対する責任感をよりいっそう高めるものとなりました。「君の原稿を見ると感動で胸が熱くなるよ」とご連絡くださった方は、連載最後になりました成利植氏です。氏のお話からは、未だ整理されず、文字に残されていない在日朝鮮人美術の歴史がまだまだたくさんあることをあらためて痛感せずにはいられませんでした。 私は連載を始めるにあたって、在日朝鮮人美術史を研究している者がいるということ、また、この研究にご協力いただきたいということを多くの読者の方々に伝えたいとも考えていました。この間、在日朝鮮人美術作品のコレクター・河正雄氏、立命館大学教授の徐勝氏からご連絡をいただき、貴重な助言や参考資料をいただくことができました。このようなすばらしい出会いはその目標が達成されたことを実感させるに十分なものでした。 学んだこと 連載を通じて学んだことは、在日朝鮮人美術史の研究方法です。在日朝鮮人史を世界史的に捉え、激動の時代に起こった事実のすべてを知ってこそ、その本質を把握し、研究を進めることができると思うようになりました。在日朝鮮人の美術作品は、異国の地で民族心と母国語を取り返し、生きる権利を獲得し、祖国に思いを馳せながら力強く生きた在日朝鮮人の激動の時代を刻印しています。確固とした歴史観を持ってその本質を探り続けようと思うようになりました。 連載を終えた今、私は徐勝氏の「君のやるべきことは多い」との言葉に襟を正しながら、今後の研究課題と、自らの道をどのように作り上げていくべきかをあらためて考えています。当面の課題は3つです。はじめに、豊富な知識と確固たる歴史観を持つこと。次に、より多くの在日朝鮮人美術家やその遺族に会うこと。そして最後に、さまざまな美術作品に接し感性を育て、また、たくさんの書籍や文献を読むことでその感性を表現できる言葉を身につけることです。 今後の課題 私の実力が足りないために、紹介することのできた美術家は10人に留まりました。このほかにも金熙麗、金昌絡、郭仁植、権鎮圭、呉林俊、李正雨などたくさんいます。 これら在日朝鮮人美術家たちの作品や生涯はとても貴重であるにもかかわらず、これまで見落とされ、体系的に整理されていませんでした。人の生きるところには音楽や踊り、文学や美術などの多様な文化芸術が生み出されます。それらはそこに生きた、生きる人々の歩みを物語る重要な一部を担っています。私はこれからも、在日朝鮮人の過去・現在・未来に、美術という側面から光をあてていきたいと考えています。在日朝鮮人美術家の生と作品。それらをみつめることから特に、私を含めた在日同胞の新しい世代に、自分の祖国や民族を考える一つの糸口を提供できればと考えています。 ここで問題になるのは作品の存在です。美術の研究は作品自体がなくては始まりません。在日朝鮮人の作品は、現在、一カ所に集まることなく散在しています。在日同胞の方々にもこの研究に関心を寄せていただき、美術家とのエピソードと共に作品の収集と保存に協力いただければと思います。(おわり=白凜、東京芸術大学美術学部芸術学科在籍・在日朝鮮人美術史専攻) [朝鮮新報 2008.4.9] |