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〈人物で見る朝鮮科学史−52〉 測雨器と気象学@

世界初、降雨量測定の制度化

測雨器による降雨量測定の想像図

 筆者は大学で量子力学や核物理の講義を行っているが、近年は「朝鮮科学文化史」も担当している。学生には、日本には数え切れないほど大学があるが、このような科目があるのはわが大学だけとちょっと風呂敷を広げて、まずは朝鮮史の代表的人物と科学文化的事項について質問する。そうすると、毎年ほぼ同じ答えが返ってきて、人物では李舜臣、乙支文徳、姜邯賛がベスト3である。3人とも愛国名将として知られ、歴史の時間で教員たちが熱弁を打つので強く印象に残っているのだろう。

 科学文化的事項では、測雨器、金属活字、瞻星台、訓民正音、亀甲船となる。いずれも朝鮮の独創的業績といえるが、測雨器は円筒形の鉄製容器で簡単に作れそうである。もし、子どもたちから「ただの空き缶ではないですか?」と訊かれたらどのように答えるのか、それが作られた背景やそれが持つ意味までも考慮しなければならないと強調して、朝鮮科学文化史全体の問題意識としている。というわけで、今回はその測雨器である。

 まず、測雨器に関する歴史的記録を見てみよう。「世宗実録」1441年8月18日条は次のように伝えている。

 「戸曹で各道監司に降雨量を報告するように指示したが、土の乾き具合によって、土に染み込む雨水の深さが同じではなく、それを測ることは難しい。書雲観に台を造り、台の上に長さ2尺、径8寸の鉄器を鋳造して配置して、雨水を受けて本観官員にその深さを測って報告させるように願う」

水標

 雨がたくさん降った云々は定性的な話であり主観的なものである。それに対して、いつ、どこで、どれだけの雨が降ったというのは定量的なもので客観的である。測雨器それ自体は非常に単純なものであるが、有史以来、誰もが雨がたくさん降ったと認識しても、どれだけ降ったかを実際に測る行為は、15世紀の朝鮮において初めて制度化されたのである。

 西洋での降雨量測定については、イタリアのカステリーが1639年にガリレオにあてた手紙の中で雨量計のようなものを作ったと書いているのが最初であるといわれている。ゆえに世宗時代の測雨器はそれよりも200年ほども早く、世界最初といわれるゆえんである。

 ただし、降雨量測定自体は単純なものなので前例があるかもしれないが、それを制度化したことが重要なのである。さらに、前述の引用文の後半には、ソウルの清渓川と漢江に河川の水位を測る「水標」を設置したとある。現在も台風情報などで水位が何メートル上がったと報じられるが、それと同様な観測方法が同時期に採用されたのである。客観的データの蓄積から自然科学は始まるが、まさに、それらは近代的気象学の始まりといえるものであり、ここに測雨器の科学史的意義がある。(任正爀・朝鮮大学校理工学部教授)

[朝鮮新報 2008.4.11]