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〈朝鮮と日本の詩人-56-〉 村松武司

東明王陵への道行きで

 高速道路は元山へ/赤土の膚は地平に消え/われらもまた地平のなかに沈みつつ。/疾走するボルボの疼き腰を浮かせて/呉委員はしずかに語る/指一本立てるしぐさ/高句麗建国、朱蒙の説話/その王陵へ行く道で。

 ポプラ並木 すべて葉は落ち/陽だまりの赤蜻蛉むれて舞いあがる/昨夜来の討論の辛い刺激は舌にのこり/なおも叢に伏して栄光煙草に火を点ける/呉委員 あなたも過去を語らず/齢相応の戦歴が/しずかな声のなかにしずむ/内戦は中学を卒えたころ/おそらく志願したのだろう/そのまま西部戦線/少年の足が踏んだ 仁川 ソウル/落ちた橋梁 枯れた川石/そして石はすべて炎を浴び/白い膚を失っていたのだろう

 ウスリイの鶴のように/戦い終わって北に帰れば 瓦礫の故郷/落ちた橋梁 枯れた川石/そして石はすべて炎を浴びる…

 松の丘陵に立ってあなたは指を一本立てる/不意に時がとまる/あれが定陵寺の跡/三国時代の回廊 石と炭がみえます。

 秋の陽 滾々とあふれ/王陵から開く西への平野/ピョンヤンにゆっくり流れてゆく/流れのなか 統一国家を語り継ぎ/あなたも化石のように/陽を浴びる。

 「三八度線の北―東明王陵で―」の全文である。90年に朝鮮を訪れた詩人が、案内役の呉委員と東明王の陵を訪れる道行きでの感慨を述べた詩である。潤いのある感性で自然を描いて、朝鮮戦争の苛烈を冷徹な詩情で甦らせている。最終連の6行は、前の4連31行を収斂することでこの詩のテーマとしての位置を強固に定めている。「統一国家を語り継ぐ」こと、すなわち、南北統一の実現ということである。

 村松武司は祖父の代からの朝鮮入植者で、1924年に「京城」で生まれ中学を卒業後兵士となった。日本敗戦と同時に引き上げ、46年から詩誌「純粋詩」や「列島」の創刊に参加した。コロンであったことの贖罪意識を払拭せず、「朝鮮海峡」「コロンの碑」など朝鮮問題を詩材とする作品を多く書いた。「海のタリョン 村松武司著作集」(1994年 皓星社刊)に収められている。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2008.4.14]