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〈朝鮮と日本の詩人-57-〉 秋野さち子

祈りが虹となって

 その朝 おかっぱのわたしは/三ッ編のおさげの子と門の所で遊んでいた/向うから 先頭の両側に/白地に巴を描いた旗を持ち/冠をつけた白周衣の人達が列をつくり/歩調を整えて進んで来る/音頭をとる人が何かを唱えると/一斉に両手をあげて「マンセーイ」と唱和する/一団が通りすぎると第二団が来た/それには老人もいた 子供を負ぶった女も/(背中の子供達は何を見たのだろう)/少し乱れた足どりで同じように/両手をあげて「マンセーイ」と唱える/ゆれる手から手へ虹がかかる(第2連6行略)。

 その頃は南北の隔てがなく/白衣の人達はひとつの柵を抜こうとしていた/旗の巴は松明となり/眼のなかから咆哮が吹き出していた/黒い冠と白周衣はこの国の男の正装/正装は勁い魂の行進であった/西鮮の三月は寒く/杏の花もまだ咲かない/ゆるやかな山なみ 青碧の屋根/やさしい人達のなつかしさが撓う成川の地で/六歳のひたむきな瞳に刻み込まれたもの/おとなになって知り得たなどとは言えない/暗く深い痛みの切れはしを噛みしめる/「マンセーイ」を唱えて/楊柳のようにゆれた手/その手から手へ/祈りが虹となって立ちのぼった/白い行列を忘れない

 詩「楊柳のようにゆれた手」には「1919年3月1日 朝鮮全道に独立運動(万歳事件)が起こった」という序詞が付せられている。詩人が幼時に見聞きした3.1蜂起の印象を後年になって言葉で客観的に再現した詩である。第1連最終行の「ゆれる手から−」と第3連の終わり3行「その手から−」には行進への詩人の支持が表されている。第3連の「旗の巴は−」「眼の中−」「正装は−」の3行には行進する人々の独立の意志がうたい込められている。この詩は激しい示威行進にアプローチするという政治的なテーマでありながらも、淡々とした詩行によって逆にその政治性が高められている。朝鮮生まれの詩人は詩集「北国の雪」(1982年)の「あとがき」で「…私のふるさとは北朝鮮です」と書いている。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2008.4.21]