〈朝鮮の風物−その原風景 −9−〉 スリナル(端午節) |
若き男女の出会いの場 スリナル(端午節)は、正月、寒食、中秋と並ぶ朝鮮4大名節の一つ。朝鮮民族は陰暦の5月5日を、村を挙げ、いや国を挙げて盛大に祝い、こよなく愛でてきた。タノジョル(端午節)は漢字の音読みで、スリナルは固有朝鮮語である(「東国歳時記」)。 路上逢重五 殊方節物同/遥憐小児女 意日後園中 禄を求める客地で端午節に出会い、故郷の妻子を偲ぶ朝鮮王朝中期の詩人白光勲の詩だが、当時においても端午節が津々浦々で広くおこなわれていたことがわかる。端午節は中国から伝わったものともいわれるが、魏志「韓伝」に、馬韓では古くから種まきを終えた旧暦五月、人々が祭祀を催し、昼夜飲酒し歌舞したという記録がある事実からみて、むしろ豊作祈願を核とするこの風習がスリナルの起源であり、外来風俗の一部をこれに取り込んだと考えたほうが自然である。スリナルを彩るメインイベントが、クネとシルムの行事であることが、その証左となろう。 スリナルの花形であるクネ(朝鮮ブランコ)は、もっぱら女性たちの興じる伝統遊戯である。この日菖蒲水で髪をとかし華やかに着飾った娘たちの、チマ(スカート)をなびかせ艶やかに空高く舞い上がる姿は、申潤福の「端午風情」を連想させる、文字通り一幅の絵であり、村の総角たちのハートをときめかせずにはおかない。 スリナルのもう一方を張る花形シルム(朝鮮相撲)は、力と力がぶつかり合う、まさに男たちのパワーゲームだ。村の娘たちに力自慢を誇示するまたとない場である。まさに女と男の美と力の競演である。 かつて社会的差別によって外出もままならなかった婦女子も、この日ばかりはだれ憚ることなく自由に、心ゆくまで祝日を楽しむことができた。その意味で、スリナルはいわば、若き男女の出会いの場でもあった。ちなみに「春香伝」の春香と李夢龍の出会いが、この端午節であったことはあまりにも有名である。同様に黄真伊と徐景徳の出会いが端午節であったとする設定も故なくはない。この点、日本の端午の節句が男の子の名節であることとは対照的である。 このようにスリナルは農耕文化の性格を色濃く反映した、豊作祈願の行事であると同時に集団の親ぼくと連携を強める風俗として連綿と営まれてきた。 今でこそスリナルの諸行事は、人々の思い出の中だけのものとなりつつあるが、有用な伝統風俗・文化は未来社会にも継承していきたいものだ。(絵と文 洪永佑) [朝鮮新報 2008.4.25] |