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〈朝鮮史から民族を考える 17〉 「植民地近代化」論批判

倫理的価値観を持つことこそ

「植民地近代化」論

1930年頃のソウル忠武路

 1980年代末以降の世界的規模での冷戦体制の終息、東アジア地域の構造的変動(南朝鮮・台湾の民主化進展と経済成長)などの現実は、歴史学において従来の「内在的発展論」(=植民地「収奪論」、すなわち植民地支配によりそれまでの自生的な資本主義萌芽の発展が阻害され、一方的に収奪されたとする議論)の再検討を迫ることになった。なかでも東アジア地域における近代=℃走{主義的発展をどのように捉えるのかという問題が歴史研究の中心課題になってきた。現在、争点は、「植民地近代化」「植民地近代」をめぐる諸問題である。

 「植民地近代化」と「植民地近代」はその特徴を異にする概念である。前者はmodernization in colony、すなわち「植民地(内)における近代化」と換言することができ、後者はcolonial modernity、すなわち「植民地的(な)近代」といえる。「植民地近代化」論は、日本統治下の朝鮮で近代化が進展したとしてその植民地支配を積極的に評価すべきという立場をとるものである。

 近年いわば「植民地近代化」論(経済成長論)を主張しているのは、進歩的学者といわれていた京都大学の中村哲、堀和生、ソウル大学校の安秉直、李栄桙迪o済史家グループである。彼らの主張の概略は以下のとおりである。

 @19世紀に朝鮮は経済的停滞に陥り、社会的にも統合力を喪失したA1910年代の土地調査事業は土地収奪を本質とするものではなく、事業によって初めて近代的土地所有制度が確立し、その後の資本主義的経済発展を可能にする基盤となったB1930年代以降の工業化の進展は、日本資本による軍需工業の移植だけでなく、朝鮮内における工業製品消費市場の拡大と生産財の生産拡充、工業面での社会的分業形成、朝鮮人資本と賃労働の形成をもたらしたC植民地工業化と人的資源および産業技術の成長が1960年代以降、南朝鮮の開発独裁による経済成長(「中進資本主義」論)が可能となる歴史的土台につながった−としてその連続性を主張する。

 要するに、停滞した朝鮮社会が外(日本帝国主義)からの文明化(近代化)作用により資本主義化が進展し、それが1960年代後半以降に南朝鮮のNIES化を可能にした歴史的要因であるというのだ。

批判その一

光州事件から20年、内外から多くの人が集まり犠牲者追悼の集いが開かれた(2000年5月)

 彼らの研究は、第一次史料の緻密な分析を特徴としており、従来の「収奪論」だけでは見ることができなかった植民地期の多様な側面を実証的に明らかにしている点で、研究史的に重要な意味を持っている。しかしながらそこには看過できない問題点が多々ある。

 第一に、実証以前に社会科学の方法論に関する問題である。まず指摘したいことは、土台のみが重視され、上部構造についての言及がほぼないことである。政策論を極力避けようとする姿勢が気にかかる。日本政府・朝鮮総督府の政策にはほとんど分析のメスをいれず、経済の実体分析(それも数量経済学的手法)に徹している。帝国主義―植民地という民族問題が資本・賃労働一般論に解消されてしまっているのである。

 また、近代化を工業化という尺度でとらえようとするのは一面的な見方である。近代化はもともと複合的な概念である。近代化の程度をはかる単一の指標は存在しない。経済だけにとどまらず、社会の民主化という視点が必要である。日本の近代化は同化主義=植民地主義を特徴としていることを常に考慮にいれなければならない。それは明治以来の、日本国内における急速な近代化過程の経験(例えばアイヌや琉球人など先住民族に対する同化主義政策)を背景としていた。より一般的に考えても、同化主義は、いわゆる「近代化」と、その本質上、容易に結合しやすいといってよい。日本の市場経済に包摂されたアイヌや琉球の先住民族が、自己決定から疎外され、一方的に収奪されていったように、植民地朝鮮においても経済成長の結果が公平に分配されず、圧倒的部分が支配国に移転されてしまった。狭義の近代化(市場経済)=同化主義が最も効率的な収奪体制だったのである。

 また、朴正煕「開発独裁」に対する肯定的評価については、実証以前の主観をもとに立論されているという印象を拭いがたい。独裁政権に開発援助をして経済発展を促せば、自然と民主化される≠ニいう単純な近代化の図式は、論理の飛躍であろう。開発援助は、かえってその国で独裁政権を強化し、民主化を遅らせることになる。「開発独裁美化論」(または「必要悪論」)が持つ一面性は、フィリピンのマルコス政権およびミャンマーの軍事政権の例を見るだけでも明らかである。民主化は人びとの紆余曲折をへた闘いを通じて進展していく。民主化の要求が経済成長を促進させ、権力側がそれに照応する政策を施行せざるをえなくなるような圧力として作用し、ひいては、社会的生産性を高める要因となるのである。

 要するに、実証的方法は社会科学の原則ではあるが、問題はあくまでも、史料の分析によって「何を明らかにするのか」という目的意識を明確にしておくことがその前提になるということである。そうでなければ、史料や統計などは、その時どきのイデオロギーにたやすく利用されてしまうのだ。社会科学の分析は倫理的な価値観(=理想主義)と切り離しては論じられないものだと思う。倫理的価値観をもつことは、実証的方法と矛盾するのではなく、かえって社会科学的認識の客観性を保証するのである。(康成銀、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2008.5.9]