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〈人物で見る朝鮮科学史−55〉 測雨器と気象学C

現存する「錦営測雨器」

錦営測雨器の実測図

 現存する唯一の測雨器は忠清南道公州観察司の前に置かれていたもので、通称「錦営測雨器」と呼ばれている。

 1837年に製作されもので、植民地時代に日本に持ち込まれ1971年に韓国気象庁に返還された。図は日本気象庁に保管されていた時に作成された実測図である。高さ約32センチ、内径13.88センチであるが、現在、用いられている雨量計の口径は5インチ(12.7センチ)なので、ほぼそれと同じである。雨量を正確に測るためには、極端なはなし洗面器ほどに大きいほうがいいかもしれないが、実用的ではない。かといって、あまり小さくすると雨が入りにくいことにもなる。ゆえに、5インチというのはもっとも合理的な大きさなのだが、測雨器の製作者も試行を繰り返しそこにたどり着いたのだろう。そのように考えると円形というのも当たりまえのことではなく、すべての方向から雨がまんべんなく入るために必要な形だったのである。さらに、3段に別れるようになっているのは、少量の雨量を測る場合に上段をはずすようにしたためと思われる。単純な形状と思われた測雨器であるが、そこにはこのような工夫がなされていたのである。

 次に測雨器の台であるが、現存するのはやはり数台のみである。とくに、有名なのは大邱・宣化堂の中庭に置かれていた「乾隆庚寅五月造」と刻印された台で、これこそ英祖によって復活した1770年5月1日に製作されたものである。乾隆という年号は朝貢関係にあった中国・清朝のものであるが、このことから測雨器は中国で製作されたと主張する学者もいる。

1770年に製作された測雨台

 余談になるが、以前「ワンダーブック」(メディア・ファクトリー)という教材の監修を頼まれたことがあった。そのなかの「気象のふしぎ」には世界最初の雨量計としてこの測雨台の写真が掲載されていたのだが、中国製とあったのでもちろんそれを訂正した。この本の原本はフランスなので、残念ながらフランスではそのように伝えられているのである。

 また、1782年に製作された昌徳宮・奎章閣の前庭に置かれていた測雨台も貴重な遺物である。大理石で作られた立派な台で、4面に世宗によって初めて測雨器が作られ英祖が復活させ、そして正祖がかんばつを憂いて測雨器を作らせたという碑文が刻まれている。その他1811年、1828年に作られた台が確認されている。いずれも英祖時代以降のものであるが、では世宗時代の遺物はすべて消えてしまったのだろうか。

 1960年、まだ朝鮮科学史研究が本格化する以前にそれを捜し求めた一人の研究者がいた。そして、ついにソウル梅洞初等学校の校庭で一つの台を発見した。誰からも見向きもされず、ひっそりと置かれていた花崗岩の台には測雨台の銘もなく、また、英祖以降の台とも形が異なる。しかし、これこそがまさしく世宗時代に作られた測雨台であった。約500年の時を経て、朝鮮の誇るべき宝が世にその姿を現わしたのである。(任正爀・朝鮮大学校理工学部教授)

[朝鮮新報 2008.5.16]