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〈朝鮮と日本の詩人-58-〉 宮柊二

日本の再軍備 憎み卑しむ

 前線に到らむとして半島の道急ぐ武装の兵写されつ

 ほとほとに歩みあまして嘆くときも暗し朝鮮も暗し

 はこばれてこし、韓国の徴募兵この高原に鍛はるるとぞ

 わが国のものにはあらぬ飛行機の爆音は絶えず夜空にひびく

 公然と再軍備論なすものを憎み卑しみ悶ゆとうつたふ

 宮柊二は、第四歌集「晩夏」(1951)と、第五歌集「日本挽夏」(1953)のなかに、朝鮮戦争とそれにかかわる歌10首ほどを収めている。「戦争を起してはならないという希いをよそに、6月25日新しい動乱が朝鮮に起こった」という言葉を「晩夏」のうちの「梅雨どき」で記しているように、柊二は朝鮮戦争に衝撃をうけて、短歌としては硬質の作品を詠んだのである。

 第1首は、ニュース映画を見たときの、兵士を哀れむ感懐である。第2首は、野道を歩いて、戦火に覆われた朝鮮への心痛む思いを「暗し」で滲出させている。第3首は、日本の某地の高原で韓国兵が訓練された事実をばくろした。次の第4首は、日本の基地から飛び立つ米軍機の絶え間のない爆音をとらえることで、朝鮮全土が焦土と化した姿を想起させている。この2首は、日本が朝鮮戦争を米国と共に戦ったという歴史的事実をあぶり出していると読むことができる。そして第5首ではこの戦争を奇貨として日本の軍事大国化が始まったことを指弾している。柊二にはこのほかにも「韓国の軍事法廷控訴審終りて金大中氏再び死刑」という作品もある。

 柊二は1912年新潟県に生まれ、30年ごろから歌をつくり始め北原白秋の秘書になった。第1歌集「群鶏」(46)で認められ、歌誌「コスモス」を創刊して歌壇に新風を送り、以後歌人の重鎮の一人となった。全11巻の全集(岩波書店)がある。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2008.5.19]