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〈朝鮮の風物−その原風景 −10−〉 市場

老若男女のにぎわい

 市場は、筆者の好んで描くモチーフの一つである。市場がかもす独特の庶民的情緒と、そのバイタリティーに強く惹かれるからだ。都市の市場の活況も悪くないが、地方の市の人懐こい風情がとくにいい。

 市の立つ日は近隣から老若男女がこぞってかけつけ、さながら祭りのようなにぎわいを呈する。朝鮮朝末期に朝鮮を訪問したビショップ・バードは、市の立つ日には普段活気もなく物憂げな村がにわかに精彩を取り戻し、市場に通じる道は農民と商人であふれかえる、と紀行文に書いている。

 市場の喧騒のなか、甲高い呼び込みの口上が飛び交い、リズミカルなハサミのチャンダンにあわせて自慢ののどを利かせるアメ売りの「ヨッタリョン(飴打令)」、ケンガリ、ヘグムの楽もにぎやかに大道芸人定番の「カクソリ打令」などが響き渡り、市場の雰囲気をひときわ華やかに盛りあげる。商人に混じって野菜や山菜、手づくりのメジュ(味噌玉)を並べて商う村のおばさんの国訛りの掛け声が市場の空気を温かく包む。けだし情緒的な往年の市場風景である。

 市場の古代語は「閃仙」(百済歌謡「井邑詞」)だが、それは「煽切暗軒」(市や店の並ぶ街)など、現在のことばにも残っている。市場が10日、5日間隔の定期市として全国的に広がるのは、農業生産の発展と人口が急増した朝鮮朝時代後期になってからだ。

 市場の基本機能はもちろん商品売買だが、同時にそこは遊びの場でもあった。市では朝鮮相撲や、民俗遊戯のユンノリ、大道芸人の曲芸やプンムル戯、仮面踊りなどが人気を博し、これがまた大いに人々を市場に呼び込む。同時に市場はさまざまな情報共有の場でもあった。村の外の世界に縁のなかった人々にとって、市場は見知らぬ世界の情報に接することのできる特別な空間だった。

 一方為政者は、多くの民衆が定期的に集まる市場を朝令伝達の場としただけでなく、反乱の首謀者、犯罪人を処刑するなど、民心統制の場としても利用した。

 これに対し、民衆もまた市場を権力の暴政に反抗する場とした。歴史的にも為政者の失政を厳しく糾弾した壁書が市場に張られた事例は少なくないし、とくに日本の植民地支配に反対する3.1人民蜂起をはじめ、多くの抵抗運動が市の日に起きているのも偶然ではない。

 このように市場はさまざまな思惑の交錯する中にあっても、しかし確実に庶民と歴史をともに呼吸し連綿と営まれてきた。かつて農民に必要な品物を供給するという市場本来の機能は、大小スーパーやコンビニに取って代わられ、情報収集も巨大なマスメディアの専有するところとなり、少なからぬ市場が姿を消した。しかし、庶民のこよなく愛する「私たちの市場」が、なくなることは決してない。(絵と文 洪永佑)

[朝鮮新報 2008.5.23]