「反動の消しゴムで消せぬ祖国愛」 広い世界につながる教え子たちへ |
思えば長い歳月であった。 この春、私は「定年退職」した。 朝鮮新報社記者5年、朝鮮大学校教員36年、つごう41年の専従活動家にピリオドを打った。 齢、65歳。終えてみて、とりたてて実感なるものはないが、ただ、わが人生の来し方(生きざま?)を振り返ってみて、それなりの感慨はある。つまり、私が続けてきた仕事が徹頭徹尾、正義の世界のつもりであったとの自負、矜持。
この年令に至りながら今いえることは、魑魅魍魎のごとき日本の抑圧社会にあってひとえに民族(すなわち人間)に忠実でありたいとの素朴な想い、ただそれだけによりわが人生が支えられてきたという事実だ。 在日の同胞たちはみな、毎日がたいへんだ。 あしたの食事の心配、子どもの教育の心配、あきないの心配、日本社会からのバッシングから家族を守らねばならぬという心配−およそこの世のすべての重荷を背負わされたかのように、わが同胞はいつも心配だらけだ。 さて、そんな彼らが、なぜか息子、娘を遠い東京は小平の朝鮮大学校へと送ってくるのである。 やれ祖国離れだ、やれ組織離れだと事あるごとに耳にする騒音雑音もどこ吹く風。毎年、民族の子どもたちが朝鮮大学校へやってくる。私は数十年間、この事実を目撃してきた者だ。 何をいいたいのか。入学生の数の問題ではない。民族大学へとわが子を送ろうとする親たちの、このとぎれなく続く「愛族」の歴史のことを私はいっているのだ。そこにはやはり、日本の歴代政権が弾圧しようとしてもしきれない、歴史の反動の消しゴムでもってはどうしても消しきれない何かがあるのだ、と思う。 退官した私はこのことについて、今さらのように深く考えている。在日同胞社会のプリ(根っこ)のプリの、そのまたプリの部分について−。
ところで一方、子を朝大にやっておいて、親らはまたぞろ心配するのである。卒業後どうなるの? どこへ就職? どうせまたイルクン? わが愛すべき同胞らにはこのように、心配のタネが尽きない。心配のところを一言でいえばこうだ−いつまで総連という狭い世界に若者を閉じ込めておくのか、もっと日本という広い世界へはばたかせてはどうか。 ちょっと待って。 どの世界が広いか狭いかは、もう少し慎重に考えてみようじゃないか−。 まず、毎年春卒業生を見送ってきた私の実感は、やっぱり新しい世代が時代の最先端を歩いているということだ。その証拠に、卒業式後の祝宴で、何分年寄りなだけに保守的である親御さんがきまって、若きわが子の決意表明を前にして涙ながらにそれに従うではありませんか。いつの時代も青春たち、若者たちが先頭に立って歴史を切り拓いていくものだ。今よりうんと若かった頃の私(たち)が、かつてそうだったように−。 今、私はここで「定年退職」した老人の記を書こうという気は、さらさらない。 あ、そうそう。例の広い/狭いの問題だ。 在日コミュニティが小さく狭い世界で、日本社会のほうが広い世界だなんて、いったい誰がきめたの? 1、2、3世…と連綿と紡がれてきた私たちの民族愛の歴史は正義の歴史であるばかりでなく、それはまたどこよりも広い世界であることを意味している。日本なんかよりずっと広い世界。 あまりに長くこの地に住んでいて、日本がすべてであるかのような報道環境に日々慣らされてきて、それで日本だけを見ていると、私たちはたしかに小さな存在(マイノリティ)、狭い世界かもしれない。でも、もっと大きく目を見開いて世界中を見渡せば、私たちのように、ただただ自分らしく、人間らしく生きたいと願い運動をくりひろげる自主的な人々のほうがはるかに圧倒的多数(マジョリティ)を占めているのであって、天空からこの地球を見おろすと、なんと日本の狭いこと。世界的に見て、日本はぽつねんと孤立しているみたい。かわいそう。 私たちは「在日」しているだけではない。在米、在中、在露、在独、在仏…なんでもござれ。朝鮮同胞は世界中あちこちに定住している。こんなにパワフルで、広い世界がどこにあろうか。 朝大卒業式の日。 ちっぽけな日本の、さらにちっぽけな会社を蹴って、世界へとつながる総連イルクンという広い道をえらんだわが子の頼もしい姿を見て大粒の涙をぽろぽろ流し喜ぶ両親の、その輝かしい表情を眺めながら私はこの光景をいつまでも決して忘れまいと、そう思った。(高演義、前朝鮮大学校外国語学部学部長) [朝鮮新報 2008.5.30] |