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〈朝鮮史から民族を考える 20〉 「植民地近代(性)」論の問題点

植民地主義の本質とは何か

植民地主義の抜け落ちた近代批判

 植民地朝鮮における「近代性」の存在を実証するのに急なあまり、「近代性」の上に形容詞としてついている「植民地」が副次的な意味合いしかもっていないように思える。「植民地」とは一体何なのかという点が抜け落ちているのである。植民地における「近代性」を過大に評価するならば、肝心の植民地と宗主国との歴史的差異が見えなくなってしまう。その差異は単に「近代性」の量的問題ではないはずだ。基本に立ちかえってみて、植民地主義の本質とは「近代性」にあるのではない。それはあくまでも宗主国総体の力による異民族支配にあり、したがって収奪・差別・抑圧、暴力関係がその基調をなすと見るべきだろう。植民地研究においては、「近代性」の浸透過程や主体形成の問題性を解き明かすこと以上に、それを内面化しえない人々の日常生活やその苦悶、抵抗の諸相などを復元する作業がより重視されるべきであろう。「植民地近代(性)」論は、経済史、政治史、民族運動史といった研究には、さほど関心がないためであろうか、それらの研究がかかえてきた問題意識との間で、必ずしも相互対話がうまくできていないようにも思われる。

民衆の存在を軽視

 「植民地公共性」なるものは、植民地権力によって上から創出されたものであり、一般にいう「市民的公共性」とは異なり、民衆によって自律的に形成されたものではない。それゆえ、植民地研究としてはその存在性を強調するよりは、その幻想性を解き明かすことこそが重視されなければならない。

 「植民地近代」論においては、朝鮮人エリートの姿を「近代主体」=「コラボレーター」(朝鮮史研究では、「対日協力者」と表現されてきた存在)として描いているが、「コラボレーター」という単語は、「ヨーロッパ中心主義的な表現であり、二項対立的な支配の構造に単純にはめ込もうとする概念であって、そこからは「植民地近代」論が問い直す「近代主体」の苦悩や葛藤は見えてこない」(前川一郎)と指摘されている。また、朝鮮人エリートを「対日協力者」と一般化するのではなく、歴史主体形成と関連して、大まかにいえば非主体的形成過程を歩む存在と主体的形成過程を歩む存在とに分けることができよう。近代朝鮮文学でいえば李光洙は前者に属し、尹東柱は後者に属するといえよう。植民地にとっての近代を考えるのであれば、「近代主体」の個々の経験に光を当てるだけでなく、それを全体につなげる関係性−そこにあらわれた権力構造−をも照射しようとするのでなければならない。また、植民地下におけるアイデンティティの複数性が指摘されているが、しかし、それ自体は、植民地に限らず、すべての近代国家に共通する経験であろう。むしろ、アイデンティティの複数性が、なぜある局面では民族主義言説につねに回収されてゆくのかという問いなしに、朝鮮の植民地状況を理解することは不可能だろう。

 「植民地近代」論は、朝鮮人エリートに対する関心に比べて、民衆への関心は薄い。それは「研究者による民衆からの主体の横奪になりかねない」(趙景達)。民衆にとって、「植民地公共性」の領域はあまりにも狭かったといえる。どれだけ多くの民衆が「公共性」に包摂されていたかは疑問であり、また、包摂されていても、民衆は民族や独立について語ることができなかったのであり、また、そのことにすでに慣れてしまっていたのである。そのため、多くの場合、民衆の抵抗は「公共性」の外側で風刺や隠語、流言飛語という形で表現されるしかなかったのである。

民族主義批判への逆批判

 植民地期の近代性・民族主義の連続についても、単純に「残滓」「再生産」として位置づけるのも問題である。この問題は、解放後史の固有な歴史空間の中で同時代史的に論じていく必要がある。そこでは冷戦と分断、米国や日本の影響などを抜きにしては論ずることができない問題を含んでいる。

 また、南朝鮮の民主化闘争を「ナショナリズム」の一言で括ることは、短絡に過ぎる。民主化闘争は、なによりも自由と自立のための闘いであった。それは、ナショナリズムからキリスト教、リベラリズムからマルクス主義に至るまで、広範な政治的立場の相違を抱えつつ、軍事独裁打倒という共通の目標によって結ばれた一群の人々が担ったものであった。抵抗ナショナリズムとは、そうした多様な人々の集合を象徴する集合名詞であった。

 「植民地近代」論は、従来、ナショナリズム側が「近代」や「民族」を自己完結的に絶対化してきたと批判するが、実は、彼ら自身がそれらを一つの完結した閉鎖論理をもつものとして暗黙的に上程している。しかし、もともと近代や民族主義が、正負の両側面をもつのは自明のことではないか。その内的矛盾のなかで、自己発展と止揚の過程を歩んできたのである。現在の南朝鮮の民主化運動も、「ある一時代の変革を中心的に担った『われわれ』は解体され、新しい時代の要求に応えることのできる次の『われわれ』が形成される」(徐京植)途上にあるといえる。抵抗ナショナリズムは、新たな環境と試練に立ち向かうため、ダイナミックな分裂と綜合の過程を反復しながら、鍛えられていくのだろうと思う。

 「近代」「民族」を越えるということは、南朝鮮や日本の「敵対的な共犯関係」にあるとされるナショナリズムを批判していれば事足りることではない。被抑圧者が抵抗のためにナショナリズムを必要としている状況、それを克服しようという意志と方向性を欠いていれば、その言説は「ナショナリズム」ではなく、「抵抗」を無力化する力(忘却に向けた共犯関係)としてのみ作用するであろう。実際、近代性の包摂性を重視するこうした研究の進展が、「植民地の近代化に貢献した日本」という構図を描こうとする日本や南朝鮮の歴史修正主義によって「つまみ食い」されている。

 また、そういう状況への批判的な省察とともに、実質的な解決を担う展望や対案の創出がともなわなければならない。その中間項として、冷戦の克服と不可分に関係する朝米関係および朝・日関係の改善、南北分断の克服を挙げることに異論はないと思う。この過程を通じてこそ、われわれは国民国家をも相対化していく東アジアを構築するものにつながっていくのではないか。(康成銀、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2008.6.9]