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〈本の紹介〉 日本反帝同盟史研究−戦前期反戦・反帝運動の軌跡

 「戦後日本人の戦争観、平和思想の特徴は、近代日本による植民地支配、侵略戦争の実態と、それによってアジア諸民族、諸国民が強いられた苦痛に対する認識が弱い」(「まえがき」)点にあるという事実は、筆者の指摘を待つまでもない。安倍前首相の「従軍慰安婦は強制性がなかった」との発言は、一国の最高権力者が発したという点において象徴的なものだが、この種の発言を探し出そうとすれば枚挙にいとまがないという日本社会の実情に、筆者の指摘の本質がある。

 そして、そうした「認識」が歪められ政治家の間で公然と繰り返される過程で、ナショナリスト学者たちが合流し日本社会の一角に「異様な地歩」を築いてさらに排外主義を煽り、それが一部のマスコミによって奨励され黙認されて今日に至っている点にその根深さを見て取る事ができるだろう。

 本書はそうした現実を踏まえて、1920年代後半、すでに朝鮮半島を植民地化した日本が、領土拡張という帝国主義としての本能そのままに中国大陸侵略に乗り出し、米英独などとの分割を本格化していった時期、「『植民地民族独立支持闘争』という固有の任務を自覚しつつ、在日朝鮮人、台湾、中国人と共に、日本帝国主義の植民地支配に反対して闘った日本反帝同盟」(「同上」)の軌跡を、散逸した資料などを丹念に拾い集め調査、分析しその全容を明らかにしようとしたものである。

 「『対支非干渉同盟』の創立とその活動」「戦争反対同盟と反帝同盟日本支部準備会設立」「日本反帝同盟の創立」「日本反帝同盟第一回全国大会−『満州事変』と日本反帝同盟」「汎太平洋反帝国主義民族代表者会議の提唱」「日本反帝同盟と在日朝鮮人」「日本反帝同盟第二回全国大会および上海反戦大会」「趙泳祐反帝葬と日本反帝同盟拡大会議」「(補論)朝鮮における反帝同盟と在朝日本人の活動」の9章、そして[注][まえがき][あとがき]からなる。本文415ページ、各章の[注]などまで含めると511ページにのぼるまさに労作である。

 本書で何よりも目を引くのは「日本反帝同盟と在日朝鮮人」との項目で第6章に独立して取り上げられているように、当時の「反帝同盟」活動の母体は「大半が朝鮮人」だったという事実である。「半分以上が朝鮮の同志であったと言っても過言ではありません」「家一軒貸さない日本の中でかれらは闘った」(都賀俊・元船橋市市議の証言)。

 例えば、第二回日本反帝同盟全国大会「活動報告」(1932年10月)は「現在全国同盟員の六割〜七割が植民地人の兄弟」であると言及したが、筆者は「官憲資料」によって表を作成し「在日朝鮮人の加盟がより多くなるのは一九三二年以降」だと推測する(本書236ページ。表は237〜239ページ)。

 そして、同時期の在日朝鮮人同盟員の数について、東京での加盟者「『五九六名』を、先述した一九三二年10月頃の『現在全国同盟員の六割〜七割が植民地人の兄弟』の近似値だと推定すれば、同盟員約八五〇〜一〇〇〇名中『植民地の兄弟』が約六〇〇名となろう」と分析している。

 むろん、この数字がそれ以降も維持されたのかどうかについては当局の治安維持法による苛烈な弾圧という事実を考えてみた場合、困難ではあっただろうが、それにしても驚くべき数字である。

 活動地域は東京が圧倒的に多く、年齢は当時、大多数が数え年18歳から25歳の青年たちだった。学歴は「被検挙年全期間を通して大学在籍者(在学、中退、卒業)がおり、二四人(二二%)を数える。高校・専門学校在籍者六名を加えると三〇名、二七%という高率」で高学歴者が多かった(232ページ)。出身地は地理的な関係もあるのだろう、慶尚南・北道が目に付くが、平安道をはじめとする北部朝鮮を含め全地域にまたがっている。

 まさに、秘史ともいうべき歴史に出会わせてくれた本書は貴重というほかに言葉は見当たらない。

 そして、過去を踏まえて現在、さらに将来の朝鮮半島と日本の在り方を考えてみる時、本書で詳細に紹介されているこうした事実を、項目ごとに若い世代向けに噛み砕いてそれぞれ一冊にし、伝えていく作業が急務ではないだろうかとも思う。筆者に期待したい。(井上學著、不二出版、TEL 03・3812・4433、8500円+税)(厳正彦記者)

[朝鮮新報 2008.7.22]