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若きアーティストたち(59)

サクソフォン奏者 李由貴さん

 「アノー・サクソフォン・クァルテット」−カフェやレストラン、船上、パーティー会場などでコンサートを開き、ステキなひと時を演出するサクソフォン4重奏グループ。李さんはここで、テナーサックスを担当している。

 06年春に結成。女性3人、男性1人で、みな高級部から知る音楽仲間だ。メンバーらは、岡山と広島の各方面に住む。練習は、週に1〜2回、仕事を終え、夜7時から2時間行っている。李さんは、高速に乗って2時間、中間地点の広島県福山市に向かう。仕事との両立で時にしんどいこともあるけれど、「尊敬し合える仲間と真剣ながらも、ワイワイ、明るい雰囲気の中で練習に打ち込める」。この時間が楽しくて仕方ないという。

 「なんとなくサックスをやりたかった」

 初級部4年生から高級部1年生まで続けた舞踊部から一転、高2から吹奏楽部に入り、サックスを始めた。

 周りは経験者ばかり。一日二日で音がまともに出るものでもない。しかし、落ち込むどころか、持ち前の負けん気で猛練習に励んだ。部活後には、サックスやピアノ、音楽理論などのレッスンにも通った。「どこまで練習したら倒れるんじゃろ?」−限界ギリギリまで練習に明け暮れた。努力のかいあって、見る間に腕を上げていった。

 その後、広島文化短期大学で管弦楽器を専攻、首席で卒業した。それから、「粒ぞろいが集まる東京で試してみたい」と、上京を決意した。

2008年4月6日、NHK岡山放送「FMはればれライヴ」に「アノー・サクソフォン・クァルテット」が出演(右端が李さん)

 東京ミュージック&メディアアーツ尚美に入学。新たなスタートを切ったが、広島で演奏していたようにはいかなかった。6秒の音が真っ直ぐ伸びなくなっていた。緊張からか、環境の変化からか、いくら練習しても改善されなかった。「少し自信をつけて上京してきたから、悔しくて、悲しくて投げ出したくなった。でも、やめる勇気はなかった。前にあれだけ吹けたんだから、がんばれば絶対に取り戻せる」と涙を拭き、前向きに取り組んだ。そして、再び心も技術も以前の自分を取り戻していった。

 在学中の05年7月、「WASBE2005 第12回世界吹奏楽大会」のオーディションを受けた。初めは世界を前に迷ったけれど、「チャンスなんて誰にでもめぐってくるもんじゃない」という知人の言葉に背中を後押され、オーディションに挑み見事合格。シンガポールに1週間滞在し、世界の若手奏者ら50余人とInternational Youth Wind Orchestraを結成、サクソフォン奏者として出演した。

 言葉はあまり通じなくても、音楽、ふれあいを通して親ぼくを深めていった。彼らと共にする時間は、日本でピリピリしながら、技術ばかりを気にしていた自分を変えてくれたという。「楽しみながらやろう!」−こんな単純なことを見失っていた。それは、李さんのモットーとなった。

 日本に戻り、すぐ東京を離れた。これからは音楽を心のままに、楽しく奏でようと。それから、クァルテット、ソロ、指導活動に奔走している。

 「人に恵まれた」。広島朝高の吹奏楽部当時、総括ノートに悔しい思いを3〜4ページつづると、アドバイスを同じく3〜4ページ分書いてくれた先生、東京で壁にぶち当たった時、家族総出で食事に招き励ましてくれた先生…。李さんには、常に家族や同胞、音楽仲間らの温かい支えがあった。そんな経験が、「人とのつながり」の大切さを教えてくれたという。

 「自分を成長させてくれ、いろんな人や経験とめぐり合わせてくれた」サックス。今後も「向上心を持ちつつ、マイペースに楽しみながら向き合っていきたい」。(姜裕香記者)

※1983年生まれ。岡山初中、広島初中高級、広島文化短期大学音楽学科 管弦楽器科卒業。東京ミュージック&メディアアーツ尚美音楽総合アカデミー学科中退。05年7月シンガポールで行われた「WASBE2005 第12回世界吹奏楽大会」に出演。06年「アノー・サクソフォン・クァルテット」結成。今年4月、FM岡山「はればれライブ」に出演。アンサンブルやソロなどで幅広く活躍中。日本サクソフォン協会会員。

[朝鮮新報 2008.7.28]