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〈朝鮮と日本の詩人-62-〉 辻井 喬

朝鮮民族への親近感うたう

 目黒の坂を机にして
 桃をたべる朝鮮の婆様

 束ねた髪は潮騒のように
 頬の筋肉は褐色の筏だ

 馬車が通る
 自動車が通る
 彼女のチマはひるがえり

 太陽は秤の分銅にとまっている
 桃は胃袋にしみわたる
 天津水密は酸く固く
 郷愁のような甘さがある

 坂の下は貧民街
 埃の中に過去がならび
 瞳は朝鮮ダリヤの黄に溢れる

 「天津水密」の全文である。

 第1連の2行と第2連の2行は、しわの深い朝鮮人の老婆のたたずまいを、壮大な比喩「目黒の坂を机にして」で表すことで、また、「髪」を「潮騒」に、「筋肉」を「筏」に例えることで、長く異国の風雪に耐えてきた不屈の民族精神を暗示している。

 酸っぱさ・固さ・甘さが、老婆の郷愁をしぼり出し、それが詩人の彼女への哀憐の情と融合し、それが詩人の朝鮮民族への親近感を醸成している。

 辻井喬は1927年に東京に生まれ、東大国文科に入学したが学生運動にたずさわって中退した。

 55年に詩集「不確かな朝」を上梓し、詩人グループ「今日」の同人となって詩作を志し、61年に詩集「異邦人」で第3回室生犀星賞を受けた。詩集は全部で16冊ある。

 69年に自伝的小説「彷徨の季節の中で」で作家としても認められ、評論集「詩・毒・遍歴」も注目された。

 高銀の訳詩集「いま、君に詩が来たのか」(藤原書店)に「『高銀問題』の重み」と題する秀抜の跋文を寄せた。この詩は「辻井喬コレクション」(河出書房新社刊)の第7巻にある。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2008.7.28]