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〈秀吉軍の奴隷連行と朝鮮女性たち〉 「故郷にもう一度、帰りたい」

 話は前後するが、2月末の九州行は、老妻の提案による格安の「九州バスツアー」で行ったものである。羽田から福岡までの往復は機上だが、九州6日間はバスである。はじめ、気乗りしなかったが、日程に、1泊目平戸、2泊目雲仙とあるのを見て、私は直ちに申込んだ。平戸では松浦史料博物館見学も日程に入っていたが、時間の制限がありほかの問題も含めて他日を期す以外にない。

 まことに異様にして、貴重だったのは雲仙である。私がどうしても見たかったのは、いわゆる雲仙地獄である。

キリシタン大弾圧

雲仙地獄キリシタン殉教記念碑

 徳川氏掌権以後、3代将軍家光期の「島原の乱」まで、日本はキリシタンへの血の大弾圧の時代である。また、この時期の歴代長崎奉行の苛酷にして残虐な弾圧ぶりは、史書千巻にしてなお足らざるものがある。

 なかでも寛永6(1622)年から10年まで長崎奉行を勤めた竹中采女の猛烈を極めた残酷な迫害ぶりは眼をおおいたくなるほどにひどかった。その象徴が雲仙地獄での熱湯責めである。竹中采女は多くのキリシタンを捕え、長崎で極刑を加え、なお改宗せざる者を島原の温泉山に連れ行き、「背を割きて熱湯を灌ぎ、なほ改心せざるものは、終に熱湯池に投じて爛殺す。時人之を称して『山に入る』と云ひ、一たび山に入るものは、生帰するもの殆んど稀なり」(「幕府時代の長崎」覆刻版、長崎市役所編)といわれるほどの惨刑を加える。

 寛永6年8月3日、竹中は男37人、女27人、計64人のキリシタン宗徒を雲仙地獄に連行した。「裸体にして両手両足を縛り、首に大いなる石をくくりつけ、背中に温泉の湯を注ぐ。その湯の掛る所は忽ち爛て傷を生じ、まことに惨酷なる形容なり」(「日本聖人鮮血遺書」明治20年刊)とある。この中に秀吉軍によって奴隷連行された朝鮮女性、洗礼名イサベルがいるのである。イサベルは、30年程前の幼い時、日本に連れてこられたものと思われる。刑吏はイサベルに向い、「汝の夫は既に教を棄てたり、故に汝も教を棄て放免の沙汰を蒙り夫婦睦敷して共白髪の楽となせ」(前掲『鮮血遺書』)と責められたが、拒否した。

雲仙地獄

 イサベルは高い石の上に立たせられ、「首に大いなる石を載て、口に小石を含せ、もし頭の上の石が落ちたら、汝が教を棄てし証拠なり」と言われたが、イサベルは転ばなかった。イサベルは、13日間、硫黄熱湯による湯責めをはじめとするあらゆる拷問に屈しなかったのである。「刑吏も獄卒も困はて、婦人を長崎に携へ、奉行竹中采女に始末を告ぐ。奉行は大に怒り、噴火山に於て十日あまり、責められ足も腰も立兼たる婦人を役所へ引出し、無理に手を採って、教を棄てる約束の書附に爪印なさしめたり」(「鮮血遺書」)という。

 私の乗ったバスが雲仙の宿に着いたのは夕方近くであった。宿の人に聞くと、雲仙地獄は、何と宿のすぐ裏が入口であった。カメラを持って宿を出た。雲仙地獄は海抜700bの所にある。あたり一面は硫黄の噴気につつまれた荒涼たる風景である。何枚かカメラに収めたが、私には処刑地がどこか判らなかった。暗くなったので宿にもどり、宿の人にキリシタン処刑場所をたずねると、「キリシタン殉教記念碑」のある場所を教えてくれた。翌朝早く行くことにした。朝、細かい、冷い雨が降っていた。傘を借りて一人で「キリシタン殉教記念碑」に向う。噴煙けぶる雨の朝、うす暗い中に十字架の碑が建っていた。前に立った、「鬼哭啾啾」という言葉がある。雲仙地獄の熱湯責めの歴史を考えると、まさに「鬼哭啾啾」の感がしたし、ひしひしと身に鬼気迫る思いをさせられた。

癒されぬ心

 「延陵世鑑」(「日向郷土史料集」第2巻所収)の著者白瀬永年は延岡藩の医師であるが、彼によると、昔の延岡藩主高橋種統は、朝鮮侵略の陣に従っている。「さて高橋勢、往来の度毎に、朝鮮国の男女老若を撰ばず生捕り来りて奴僕とす。その数何百人といふ事を知らず。然る中にも幸なるは女は人の妻妾となり、男は主人の隙を得て妻子を設てカマドを立つるも多し」とある。奴隷連行されても、人の妻妾になれたものは「幸いなる」としている。これは本当のことであろうか。

 「小麦様」は病気になった時、心配した松浦鎮信に「なにとぞ、今一度、故郷に帰りとうございます」(「大航海時代の冒険者たち」平戸歴史文庫)と頼んだという。この根獅子地区に根獅子が浜と呼ばれる砂浜がある。今は、毎年、海水浴客でにぎわっているという。この浜は江戸時代の初期、幕府のキリシタン弾圧令に従った平戸藩が領内のキリシタンを大量に斬刑に処したところとしても知られている。そしてもう一点、この浜の海の向うは、故郷の朝鮮半島である。島の人は、「小麦様」がこの浜に立って長いこと海の向うを見つめていた姿を幾度となく、見ていたに違いない。松浦鎮信に、「故郷に帰してくれ」と頼んだ言葉に「小麦様」の癒されぬ心を見る思いである。それに泣かせる話である。(琴秉洞、朝・日近代史研究者)

[朝鮮新報 2008.8.4]