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〈朝鮮と日本の詩人-66-〉 階戸義雄

不屈の革命精神うたう

 京城監獄に石棺そっくりの地下暗房があるという/一人の政治犯が終身禁固になっているという/盲聾唖の三重苦だという/だが生まれながらの廃人ではないという/かつては独立運動の首領/被圧迫民族のヒーロー/半島の猛虎として総督府の戦慄であったという/民衆の間から風のように出現し/全朝鮮に動乱の渦を巻き起こした/情熱のアジテーターであったという/或るときは金剛山の頂上に白衣をなびかせて立ち/或るときは釜山の埠頭に乞食姿でうづくまり/或るときは鴨緑江の筏の上に棹さす水夫であったという/総督府に捕らえられ/ひらめく眼は刺され/さとい鼓膜は破られ/ひびき高いのどはつぶされ/窓のない独房に残骸を横たえるのだという/彼の名が金か李か趙か知らない/だがアリランを口ずさむ朝鮮人なら/誰でも一度は彼の顔を見たことがあるという/誰でも一度は彼の声を聞いたことがあるという/彼が実在の人物か伝説の人物か知らない/だが半島の兄弟たちは断じていう/「彼の人は今尚生きている!」/京城監獄の高い煉瓦壁の中にか/彼ら自身の部厚い胸の中にか

 「無名の囚人」の全文である。この詩はどこか謎めいた「金か李か趙か」わからない「一人の政治犯」=朝鮮人革命家を、民衆が伝説を生む象徴として浮かびあがらせ、朝鮮解放闘争の不屈の精神を強靱なリズムでうたった詩である。「だがアリランを口ずさむ朝鮮人なら」をふくむ以下の4行は、解放闘争が広く人民大衆に支持されていることを示唆する暗喩である。つづく「彼の人は今尚生きている!」以下の3行には、必ず朝鮮を解放するという革命家の意思と「―自身の部厚い胸の中で」その革命家を信ずる人民の希望がこめられている。

 階戸義雄は石川県に生まれた。大阪外国語大学ロシア語科在学中に治安維持法で拘束されたために同校を中退し、労農救援会準備会大阪支部書記長を務めて労働運動にたずさわった。36年に検挙されて服役し、たたかいの渦中でプロレタリア詩人としてすぐれたアジプロ詩を新聞・雑誌に発表した。戦後は日本共産党石川県委員会委員長を務め、内灘基地反対闘争を指導した。詩集に「風雲の暦」(階戸義雄詩集刊行会)、「自由の階段へ」(檸檬社)、「光の中へ」(奈良詩人会議刊)などがある。(卞宰洙・文芸評論家)

※階戸義雄(しなどよしお)

[朝鮮新報 2008.9.8]