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〈朝鮮と日本の詩人-68-〉 菊岡久利

朝鮮の火を燃やす仲間

 (冒頭から33行省略)

 わたしの知っている朝鮮の仲間たちは/平気な顔つきでいて/皆それぞれ/胸には朝鮮の火を燃やしている/屑屋をしている仲間も/鉄道敷設に沿って進む仲間も/皆/あの冷たい眼と焔の胸を所有する/だが今晩帝都のド真中/華麗のステージで/崔承喜さんの踊った/朝鮮風の舞踊を見て/美しいその人の描いた/かよわい線の中に/のどかなりし鶏林の原野を見/歴史を追懐し/豊かな自然の中の/労働の間/たのしかりし若者たちの恋を見/いろんな朝鮮を思い出すと/それが込み上げてきて/仲間たちのために/暗然泪ぐまないことが出来なかった/わたしは/わたしの仲間たちがそうであるように/崔承喜さんも/烈烈/焔の胸を所有し/朝鮮の火を燃やす仲間だといいと思う。

 「舞台の崔承喜」の後半部分の全部である。省略した詩の冒頭の一行が「わたしにはうんと朝鮮の仲間がいる」とあるように、この詩人には朝鮮の友人が多くいた。そして自分の知っている彼らは「冷たい眼と焔の胸を所有する」人たち、つまり、日帝に対する反抗の精神の持ち主たちである。そのような友人を有する詩人が、植民地下にありながらも、民族の魂を秘めて踊りつづけて、世界的な名声を博した崔承喜の舞台を見ての、感懐を主題にした作品である。詩人は「華麗なステージ」から「鶏林(新羅の別称)の原野」を思い描き、青年労働者の「恋」を連想し、植民地下の朝鮮の苦吟に胸を痛め、われ知らず泪ぐむ。ここではプロレタリア国際主義の息づかいを感ずることができる。詩人はさらに、民族の舞姫が「烈烈/焔の胸を所有し/朝鮮の火を燃やす仲間だといいと思う」という3行をもって、朝鮮の独立を願うというモチーフを示している。ちなみに崔承喜は解放後共和国で、ダンサーとして、振付師として後進の育成に活躍し舞踊家として最初に「人民俳優」という栄誉ある称号を得ている。

 菊岡久利は1909年に弘前市に生まれ、若くしてアナーキストグループに加わって活動し、獄中生活を体験した。この詩(本稿は「日本詩人全集七巻」、創元文庫より引用)を収めている処女詩集「貧時交」(35年)で名をなし、横光利一に師事して小説・戯曲も書き作品集「怖がるべき子供たち」を残した。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2008.9.29]