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〈朝鮮と日本の詩人-69-〉 植村諦

「誰が俺の目を曇らすのか」

 誰が俺の目を曇らそうとするのか
 誰が俺の耳を覆おうとするのか
 俺は何も彼も良く知っているのだ
 此のアジアの突端に日毎に行われている
 不正を、不義を、偽瞞を、圧殺を−
 そしてその嵐の中に惨めにも
 ふみにじられていく愛情の生活の様々を
 それをかゝわりもなく捨て去って行く
 旅人と思ってくれるな
 今比の半島の南端に立って
 澎湃とした海を眺めながら、俺はじっと堪えている
 湧き上がって来るおのれの激情に
 背後に感じる千万の血ににじんだ瞳の圧倒に−
 同胞よ、目で見たことが行わずに居れるか

 「朝鮮を去る日」全文である。

 植村諦は奈良県に生まれ郷里で小学校教師を務めながら詩誌「大和山脈」を発行した。

 部落解放運動の団体水平社の運動に参加して教職を追われ朝鮮に渡って独立運動に協力した。

 そのために朝鮮から強制退去させられ、1930年に東京に居を定めてアナーキズム文学運動に身を投じ、8年間の獄中生活を体験した。

 右の詩は朝鮮から追放されるときの心境をうたったものである。

 全土が監獄にされた植民地下の朝鮮の現実を「不正」「不義」「偽瞞」「圧殺」という、詩語らしからぬ言葉で圧縮している。そのために詩全体に日帝に対する憎悪の「激情」が実感的にわきおこってくる。

 6行目と7行目の「−惨めにも/ふみにじられていく愛情の生活」という詩行には、強制連行、挺身隊、徴兵によって家庭をも破壊しつくした日帝の犯罪に対する糾問が込められている。

 詩人は、塗炭の苦しみにある朝鮮を見捨てて去るのではなく、自分が運動をつうじて「何も彼も良く知っている」朝鮮の現実を忘れずにたたかっていくことを「行わずに居られるか」と決心している。

 植村は戦後も思想をまげず新日本文学会に属して民主主義文学運動にたずさわった。詩集にはこの詩を収めた「異邦人」と「愛と憎しみの中で」などがある。(卞宰洙 文芸評論家)

[朝鮮新報 2008.10.6]