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〈本の紹介〉 わたしの戦後出版史

心をかけた著者と時代を担って

 本書は、かつてベテラン編集者であった二人の編集者上野明雄と鷲尾賢也が著者から聞きとった話を著者自身が一冊にまとめた。絶妙な語り口に彩られた、近頃まれにみる良書である。

 著者の松本昌次は、つとに「伝説的・神話的存在」として、知る人ぞ知る名編集者である。1953年に25歳の若さで未来社に入社して30年間、83年に影書房を創業して今でも現役である。その間にかかわった書物はおよそ二千点にも及び、しかもそのなかに兎園冊が皆無に近いというから驚きである。著者が人間的にも深く交流したおもな人物を選んであげてみる。丸山眞男・藤田省三・橋川文三・上原専禄・内田義雄・西郷信綱・石母田正・花田清輝・野間宏・富士正晴・井上光晴・吉本隆明・安東次男・谷川雁・平野謙・埴谷雄高・木下順二・山本安江・秋田雨雀・千田是也・尾崎宏次・東野英治郎・山代巴・上野英信−。これらの学者、文学者、演劇人、記録作家たちは、いずれもそれぞれの分野での泰斗である。この人たちの著作のなかには、例えば、丸山眞男「現代政治の思想と行動」や花田清輝「アバンギャルド芸術」を始め、日本敗戦後の一時期を画した名著が数多く含まれている。

 著者が編集者として秀抜なのは、書き手を魅了するナイーヴな人間性と飽くなき探究心、そして豊衍な知的教養に負うところにも勿論あるが、それ以上に、編集・出版の目的意識性に確固たるものがあるからにほかならない。

 「心をかけた著者と仕事をすることは、その著者とともに時代を変革する運動にみずからもかかわること」

 右のことばに著者の本づくりの思想信条が凝縮されており、これが日本敗戦後の出版史、いや、思想・文化史を飾る名著が踵を接して刊行された所以である。

 ここで、著者と朝鮮とのかかわりについて述べる。著者は、72年3〜4月と73年9〜10月の2回にわたって朝鮮を訪問し、75年に含蓄に富む紀行文「朝鮮の旅」を上梓している。この本に通底しているのは、植民地支配を、謝罪はおろか本質的に認めようともしない日本支配層への批判と、それにもとづく日本人としての贖罪の念、そして社会主義建設に励む共和国への肯定的評価であり、在日朝鮮人を勇気づけてくれた。

 未来社は70年から81年にかけて「金日成著作集」(全7巻)をはじめ「革命的文学芸術論」「社会主義的教育論」「朝鮮の自主的平和統一」など、金日成主席の労作と「金日成伝」(英語版)及び「朝鮮革命博物館」(全2冊)を出版している。こうした書物の刊行は、人民の指導者としての思想家・革命家金日成主席の実像を知らしめる意義ある事業であった。

 「三十六年間にわたる植民地支配とそれによる朝鮮分断の責任をとって謝罪し、日本から国交を開いていれば、現在のような『拉致問題』をはじめとする、こじれた事態を招かなかったことは明らかです」

 著者のこの信念は、影書房を興した以後の編集・出版事業で生かされている。安江良介「孤立する日本」、張貞任著・金知栄訳「あなた朝鮮の十字架よ」他にみるように、影書房は朝鮮問題に鋭く迫る出版に多くの力を注いでいる。常軌を逸した「北朝鮮バッシング」のなか、朝・日友好親善のかけ橋として、著者の仕事に期待するところ大である。(松本昌次著、2800円+税、株式会社トランスビュー、TEL 03・3664・7334)(辛英尚・文芸評論家)

[朝鮮新報 2008.10.14]