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〈人物で見る朝鮮科学史−68〉 壬辰倭乱とその副産物B

李長孫が考案した「飛撃震天雷」

飛撃震天雷の模式図

 SF映画の古典的名作「2001年宇宙の旅」は、類人猿の二つの群れが争う場面からはじまる。ある者が偶然(?)手にした骨で相手を威嚇し、それを空に放り投げると宇宙船に変わる。バックにはリヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」の重厚なパイプオルガンの音が響き、まさに映画史に残るオープニングであった。

 一方、この場面は人類が武器あるいは道具を手にした時から、その発展の歴史が始まったことを如実に語る。残念ながら武器の開発が科学技術の発展を促進させたことは歴史的事実であり、そこからどのような教訓を得るのかは科学史研究の重要課題でもある。

 さて、壬辰倭乱時に李舜臣将軍が建造した亀甲船とともに大きな威力を発揮したのは崔茂宣の嚆矢として発展してきた火薬武器であるが、なかでも有名なのは李長孫が考案した「飛撃震天雷」である。

 その呼称が示すように大砲でそれを発射し、地面に落下するとまもなく爆発する、いわば時限爆弾のようなものである。「木谷」という螺旋形の装置に導線を巻きそれを竹筒に入れ、震天雷に装てんして信管としたのである。その導線の長さで爆発までの時間を調整するようにしていた。中国にも震天雷と呼ばれた武器はあったが、この時限装置は李長孫による独創的な工夫である。

金忠善の神道碑

 さらに、壬辰倭乱時の武器に関する興味深いエピソードに火縄銃の伝来がある。それを題材とした小説宮下徳蔵「虎砲記」(新潮社)があるので簡単に紹介しよう。

 加藤清正の家臣・岡本冴香は22歳の若さでありながら、老成し体も小さくとても剛の者とは見えない。戦場でも戦いを放り出して日本軍が占拠した城で朝鮮の本を収集する人物で周りの評判も良いはずはない。その彼が、清正が虎と対峙した時、見事な砲術で主君の命を助けるのだが、かえって主君に恥をかかせたとして謹慎処分に処せられる。かねてより朝鮮への憧れを抱いていた冴香は火縄銃を携えた郎党を引き連れて、朝鮮側に身を投じる。彼の砲術を高く評価した朝鮮側は一軍の将として遇するが、戦いで大きな功を挙げて金忠善という名前を与えられる。金忠善、「王朝実録」や「承政院日記」などに金沙也加という名前で記されている実在の人物で、彼の子孫は今も慶尚北道達城郡友鹿洞に住んでいる。

 日本に伝わった最初の西洋文物が火縄銃であることは周知の事実であるが、それが武器であったことは朝・日関係を見た時、宿命的な感がある。刀鍛冶枝術が高い水準に達していた日本で鉄砲製造は困難なことではなく、とくに織田信長が戦術的にそれを用いたことはよく知られている。そして、その後を継いだ豊臣秀吉がその武力をもって朝鮮に侵出した。幕末期、日本は軍事技術を中心とした西洋近代科学技術を積極的に導入し、維新後にその軍事力を背景に再び朝鮮に侵出するが、歴史は繰り返されるということだろうか。(任正爀・朝鮮大学校理工学部教授)

[朝鮮新報 2008.10.17]