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春香伝 モナコやニューヨークメトロポリタン 欧米オペラ劇場で次々に上演

116年前の仏版「春香伝」原本発見

「香しい春」と名付けて

仏語版「春香伝」の表紙

 今年8月、フランス語版「春香伝」の原本が新たに発見されたと、南のマスコミ各社が一斉に報じた。

 「春香伝」は、わが国初のフランス留学生であった洪鐘宇(1850〜1913)によってフランス人作家JH・ロニーに紹介され、「Printemps Parfum`e」(香しい春)という題名で1892年に「ギョーム叢書」のうちの一冊として訳され出版された。「Printemps Parfum`e」の序文には、「朝鮮の高位官吏である洪鐘宇がこの話を紹介してくれたことに、われわれは深い感謝の意を表す」と書かれている。洪鐘宇は金玉均(1851〜1893)暗殺の犯人。結果的に朝鮮文学の伝播者の役割を果たした彼が暗殺者であったことは、歴史的にも皮肉なことではある。

 「春香伝」のフランス語版「Printemps Parfum`e」は、演劇評論家金承烈氏(パリ第8舞台芸術学博士課程)が、自らの博士論文執筆の過程において、フランスの古書店で発見したという(東亜日報2008年8月23日付)。

ブランコに乗る春香(仏語版「春香伝」)

 バレエ作品にも実は、バレエに少しでも興味があるなら誰でも知っているロシアのダンサー兼コリオグラファーであり、アンナ・パブロワの「瀕死の白鳥」や伝説的ダンサーニジンスキーの「ペトルーシュカ」などの振り付けで世界的に有名なミハイル・フォーキン(1880〜1942)が、1936年に「春香伝」を「愛の試練」という題名で舞台化している。

 「オックスフォードバレエ事典」(1982年版)によると、フォーキンのこの作品は「based on a Korean fairy tale(朝鮮の説話がベース)」と書かれている。前出の金承烈氏が、2006年にその舞台写真と共にこれを発見、発表し、多くの人々を驚かせた。「春香伝」をベースにした「愛の試練」は、1936年モナコモンテカルロオペラ劇場で初演後、38年にはニューヨークメトロポリタンオペラ劇場、56年にはフィンランドヘルシンキの国立オペラ劇場、また68年までにロシアのサンクトぺテルブルクやパリ、イギリスのエジンバラ、ドイツやハンガリーでも上演された。

日本でも翻訳、舞台化

獄中の春香に会いに来た夢龍(仏語版「春香伝」)

 「春香伝」は日本でもたびたび紹介、翻訳、翻案、舞台化されている。1882年6月25日から7月23日まで23回にわたり、桃水野史(半井桃水)により、「鶏林情話春香傳」という題名で朝日新聞に連載された。

 1906年には雑誌「太陽」に高橋仏焉により「韓国の文学春香伝の便概」が書かれ、1910年には高橋亨により「朝鮮の物語集付俚諺」(日韓書房)に「春香伝」が収録され、1922年には麻生磯次により「戯曲春香傳−3幕4場」が書かれ、1938年には新協劇団により「朝鮮古譚春香傳−6幕11場」が築地小劇場で公演、1939年には村山知義により「春香傳(シナリオ)−朝鮮映画会社のために」が「文学界」(文芸春秋社)に発表、1947年には文化座によって「春香伝」が上演された。

夜会巻き、ドレスの春香

 もちろん、フランスでも日本でも、またバレエであれ演劇であれ、紹介された「春香伝」は原作そのものではない。

「春香伝」をベースにした「愛の試練」。1936年モナコで初演された

 フランス語版の「春香伝」では、春香の髪は夜会巻き、ドレス姿で登場するのに、夢龍は朝鮮の伝統衣装で登場し、獄につながれた春香と夢龍は格子越しにキスをする。桃水野史の「鶏林情話春香傳」の挿絵も着物姿である。バレエ作品である「愛の試練」では、登場人物はみななぜか中国風の衣装で登場する。日本での演劇作品は、朝鮮の伝統衣装を身にまとうものが多かったようだ。

 それぞれの国と朝鮮との関わりのあり様が透けて見え、文化の伝播の様相をも垣間見るようで興味深い。

 朝鮮民族が最も愛し、「権力への反抗」「抑圧に対する抵抗」「民衆の持つしたたかさ」、そして「愛の勝利」の物語である「春香伝」が、自国民だけではなく他国の人々の興味を引いたという事実は、やはり驚きとともに「春香伝」そのものが持つ物語の力強さを再認識させてくれる。(朴c愛 朝鮮古典文学、伝統文化研究者)

[朝鮮新報 2008.10.17]