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〈朝鮮の風物−その原風景 −14−〉 タンベ

貴賤問わず愛された嗜好品

 金得臣の風俗画「破寂」は、ヒヨコをくわえて逃げる野良猫めがけて、この家の主が縁側を転げ落ちながらキセルをふりおろす姿をユーモラスに描いた傑作である。申潤福の風俗画「双剣対舞」にも長いキセルをくゆらす両班と妓生がみえ、また金弘道をはじめ当時の多くの画家の風俗画にもタバコをたしなむ人々の姿が様々に描かれている。

 これらの風俗画が描かれた18世紀の朝鮮では、貴賎を問わず広範な層の人々の間でタバコが愛用されていたことがわかる。17世紀に朝鮮を訪問したオランダのハーメルは、朝鮮では老若男女がこぞって喫煙すると、その紀行文に記している。また稀代のヘビースモーカーといわれた李朝の文人張維は、「上は高級官僚、下は籠担ぎ、薪売りの子どもまでタバコを吸わぬものはない」と書いた。

 キセルをくわえるトラの民画は有名だが(本来は、人間が主人面するずっと昔にトラの時代があったとする意味から「はるか昔」を喩える常套句をビジュアル化したもの)、これを猫も杓子もタバコを吸う世相へのあてこすりとみてとるのは、いささかうがちすぎか。

 ちなみに、キセルといえば長いのと短いのがあって、当然それは使い分けされる。すなわち、長い方は両班貴族の占有物。なぜなら1b近くもあるキセルにきざみ葉をつめ、それに火をつけて吸うのは一人ではとてもは無理な芸当で、付き人の助けが不可欠だからである。したがって他人の助けの要らない短いキセルは一般庶民のものということになる。

 コロンブスが15世紀末に中南米から欧州にもち帰ったタバコが、めぐりめぐって日本を経て朝鮮にもたらされたのは17世紀初といわれる。それが1世紀後にはすでに朝鮮全土に波及し、生活文化として定着したというから、おどろくべき伝播速度といえよう。

 タバコがかくも急速に朝鮮の生活文化として定着したのはなぜか?

 それは、一旦タバコに手を染めるとニコチン依存症となり、喫煙者数がどんどん増えていったことが理由の一つだが、それに加えてタバコの栽培が大きな利益をもたらしたこともその流れを加速させる重要な要因となった。利益が大きいため、穀物生産からタバコ栽培に転じる農民が相次ぎ、中国にまで輸出を広げるなど、生産者はもちろん国家も大いに潤ったという。一方で穀物の生産量がにぶって一時社会問題になったこともあるという。

 17世紀初の農書「農家月令」にあるタバコ栽培についての記述からも、当時すでに多くの農民がタバコの栽培に関わっていたことがうかがえる。また、一時流配の辛苦をなめた鄭若繧ェ流配地でのタバコ栽培で一儲けしたという逸話もこうした事情を反映している。

 タバコといえば普通嗜好品だが、実は伝播当初は薬用として栽培されたというからおどろく。当時、タバコは鼻炎、できもの、傷の止血などのほか、神経痛、頭痛などの薬として使用されたというが、その効用のほどについては寡聞にして聞かない。

 しかし、こんにちタバコの弊害が科学的に解明され、喫煙者はもちろん周囲の人の健康にまで害が及ぶ実態が指摘されるなど、禁煙の流れは時代の趨勢となっている。昨今、公共の場での禁煙スペースはますます広がるばかりで、愛煙家にとっては肩身の狭い時世という他ないが、これも健康あっての人生ということで甘受のほどを願うばかりである。(絵と文 洪永佑)

[朝鮮新報 2008.10.24]