top_rogo.gif (16396 bytes)

2008 朝鮮 深まる秋、紅葉まっさかり

豊作、街も人々もいきいきと

妙香山で遠足に来た子どもたちと出会った

 先月半ば、3年ぶりに10日間祖国を訪れた。9月に建国60周年の祝賀行事を終えた祖国は秋が深まり、紅葉まっさかり。平壌はじめ各地の街は活気に満ちて、市民の表情も明るかった。街はイチョウの葉が黄色く色づき、ポプラや柳の木々とともに晩秋の美しさを浮き立たせていた。アパートやビルの外壁もきれいに改装され、街を闊歩する女性たちの服装も一段とおしゃれ。赤やピンク、オレンジ色のカラフルなジャケットやスーツで颯爽と歩く姿がかっこよかった。ちょうど訪朝していた和田春樹・東大名誉教授も「街も人々の佇まいも一段と落ち着いて、ゆったりして見えた」と印象を語っていた。

元気のいい小学生

開城・高麗博物館の樹齢400年のイチョウが黄色く色づいていた
明るく闊達な朝鮮人民軍の金明煥中佐(板門店で)

妙香山の川原で弁当を広げる大学生たち

 朝鮮では秋の刈り入れが終わり、一段落したところ。平壌、信川、沙里院、妙香山、開城、板門店など各地を回った。誠実に仕事に取り組み、懸命に生きる市井の声をひろった。

 平壌第4小学校(4年制)は金正日総書記も学んだ名門。現在900人が在籍する。48人の教職員を束ねるのは吉錦順校長(42)。教職に就いて約20年、一人娘を育てながら、働き続けてきたキャリア女性だ。同校長の案内で4年生の歴史の授業を覗くと、テレビを使って任辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争)を教えていた。若い女性教師が、李舜臣将軍率いる朝鮮水軍の活躍をテキパキと説明していく。教師が子どもたちに亀甲船の特徴について質問をすると即時に全員から手が挙がった。「堅固で火力に優れていた」との答え。授業に集中し、目がキラキラ輝く子どもたち。理想的な授業の進め方だったが、同校では女性教師がほぼ7割程だという。もちろん、今の日本の小学校で問題になっているような、授業中に私語を交わす、動き回るというような現象は想像もできない。

 英才教育で知られる平壌第1中学校(6年制)を案内してくれたのは副校長の韓仙姫さん(50)。全国の秀才が集うため寮も併設されている。全校生徒は1700人、教職員は260人(そのうち博士、学士は50人)のマンモス校。校内を早足で見学したが、各クラスには全員の成績表が張り出され、多くの生徒たちが真剣に見入っていた。同校は世界数学オリンピックで金メダルに何回も輝いた実績を誇り、とりわけ理数系に力を入れているようだった。

 学生数は男女が7対3の割合だが、人数の少ない女生徒たちが学年トップを占めている割合が高いような印象を受けた。韓副校長はこの道25年のベテラン教員。夫も教員で一人息子が金日成総合大学歴史学部の4年生だという。子どもを託児所に預け、病気の場合は、託児所の医者が診察して薬も飲ませてくれたと子育てを振り返った韓さん。「女性が責任感を持って仕事ができる環境を国が保障してくれています」と胸を張った。

日本語学んで

張り出された試験答案紙(平壌第1中学校)

大城山の革命烈士陵に結婚の報告に来た新郎新婦

 紅葉真っ盛りの妙香山の国際親善展覧館のガイド・李香玉さん(32)。2歳の一人娘のオモニでもある。代々天下の名勝地で暮らす喜びを語りながら、「世界中の人々がここにやってくる。ヨーロッパや米国の人たちが主席や総書記に贈られた国宝級などの数万点の贈り物を見て、朝鮮の国際的地位の高さに目を見張ります。『ここは観て、実感し、理解する場所だと』」

 また、取材で出会った平壌外国語大学教員(日本語科)の金雪花さん(22)は今年3月に卒業したばかり。同大では英、仏、独、伊語はじめ22の言語を教えている。そのなかで金さんが日本語を専攻したのは、ハルモニの強い勧めがあったから。

 「植民地時代の苦難を再び繰り返さないように、相手を知ることが大事だと言われた。でも、日本のわが国への敵視政策などの影響を受けて、日本語科の人気が低迷し、学部から学科に格下げされ、今、私が教えているのは1年生10人、2年生7人だけ。一日も早く朝・日関係が正常化して、日本語を学ぶ学生が増えるといいですね」とはにかんだ。ちなみに日本語の小説で一番面白かったのは夏目漱石の「坊ちゃん」だったという。

統一まで軍服脱がぬ

ホテルが用意してくれた弁当がとてもおいしかった
高麗民航には中国からの観光客がいっぱい(瀋陽国際空港で)

車内から見た板門店のイチョウ並木

 朝鮮戦争時の米軍による虐殺事件の現場、信川博物館で、世界各国の人々に米軍の蛮行を訴え続けているガイドの朴潤淑さん(36)。英語、仏語が堪能。祖父や親せきら多数が犠牲になった信川で生まれ育った。当時、住民の4分の1にあたる3万5380人が虐殺されたが、いまだに遺体の発掘が続けられていることを、目に涙を浮かべながら説明してくれた。

 「世界各国の人々が絶え間なくここを視察しに来る。母子が引き離されて、別々に焼殺された現場を見たある米国人は、『ここに来るまでは全く知らなかった、恥かしい』とうな垂れていた」と。朴さんも2歳の一人娘の母。「この悲惨な歴史を心に刻み、次の世代に米軍の蛮行の凄まじさを伝えていくのはもちろん、世界の人々に平和の大切さを訴えていきたい」ときっぱり語った。

 その志は朝鮮半島を南北に引き裂く軍事境界線の板門店で、取材に立ち会ってくれた朝鮮人民軍中佐・金明煥さん(38)の思いと重なる。信川生まれの金さんの父は6歳のとき、両親はじめ兄弟親せき11人を一度に殺された。戦後、孤児院で育ち、結婚して明煥さんら5人の息子をもうけ、全員を人民軍に入隊させた。その父は数年前、63歳で亡くなったが、「統一されるまでは軍服を脱ぐな」との遺言を残した。作家志望の夢を抱いたこともあった金さんだったが、いま最前線で、米軍の膨大な軍事力と向き合う。

 「金正日総書記を戴く祖国は磐石です。それよりも祖国を遠く離れ、日本当局の不当な弾圧にさらされる在日同胞を心配している。祖国は、どんなときにでもみなさんを心から支援する温かい懐です。共に統一のためにもうひと踏ん張りしましょう」と言葉を結んだ。

 祖国の人々の熱いメッセージと気概が心に染みた旅となった。(文・写真=朴日粉記者)

[朝鮮新報 2008.11.4]