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〈民族楽器のルーツをたどる ウリナラの楽器 F〉 チョッテ

「萬波息笛」と呼ばれた国宝、柔らかく優雅な音色

 我が国で改良されたチョッテ(煽企、腺企)には、高音チョッテ、中音チョッテ、そして低音のチョッテの三種類がある。

 大きさは異なるが構造は同じだ。

 チョッテの音色は柔らかく優雅で、どこか悲しげな感じがするが、時には力強く王の風格を思わせる。

 高音チョッテは、独奏楽器としても魅力的で、重奏や合奏ではほとんどの曲でソロを担当する華やかな楽器でもある。

 新羅時代の代表的な三絃−カヤグム、コムンゴ、ヒャンビパと、三竹−テハム(大★)、チュンハム(中★)、ソハム(小★)の一つで、一番長くて細く、南朝鮮では「テグム」と呼ぶのが一般的である。

 竹で作った管楽器の中では一番大きな楽器で、コムンゴ、カヤグムとともに、古い歴史を持つ代表的な伝統楽器の一つでもある。

 昔からテグムは、管弦演奏をするときに、すべての楽器の音あわせをする役目をしてきた。

散調テグム(上)と正楽テグム(下)

 また、「チョ、チョッ(笛)」とも呼ばれるこの楽器の由来は、「三国史記」(朝鮮半島現存最古の歴史書、三国時代から統一新羅末期までを対象とする)、「三国遺事」(「三国史記」に次ぐ朝鮮古代の歴史書、前書にもれた逸話や伝説の類が広く収められている)をはじめいろいろな記録が伝えられているが、408年に作られた徳興里壁画古墳に描かれた高句麗壁画にも見られることから、5世紀はじめより以前に作られたとも言われているが定かではない。

 「三国史記」によると、新羅時代にこのテグムの曲は324曲にも及んだとされている。

 さて、ここで「三国遺事」の記録に残された話を取り上げてみよう。

 新羅31代神文王は即位した後、先王の文武大王のために東海辺に感恩寺を建てた。

 ある日、東海に出て臣下の報告を受けたが、報告によると、海の真ん中に小さな山が浮かび、珍しいことにその山に竹がひとかぶあるという。

 昼には二つある竹が、夜になると合わさって一つになるとの事。

楽器を吹く様

 王が自ら行って龍(先王)に尋ねてみると、龍は「片手でなく両手を使って叩いてこそ音がするように、竹も合わさり初めて音がする」と答えた。

 これは、聖王が音で天下を治めるという良い知らせ(吉報)。この竹を切って笛を作り吹けば、天下が平和になると言うのだ。

 そして、その竹で笛を作り吹く事で、病が治り、敵兵が退いて、日照りに雨が降り、梅雨は終わり、風が静まって、波も穏やかになり、これを萬波息笛と呼んで国宝としたそうな…。

 このような記録から見ると、当時チョッテはまさしく神器だったのだろう。

 テグムには正楽テグムと散調テグムがあるが、昔から伝わるテグムは、正楽テグムで、19世紀伽 琴散調の誕生後、その影響を受け区分されるようになった。

 散調テグムは正楽テグムより少し短く、音程も長2度ほど高いのが特徴といえる。

 今も尚、その音色は名曲と共に語り続けられ、南北共に次世代に受け継がれている。

 我が国固有の表現と音色を持つチョッテは、民族伝統楽器を語る上で欠かせない楽器であり、人々に愛される楽器の一つであるに違いない。(康明姫・民族音楽資料室)

 メモ…18世紀末、主に南道地方を中心とした巫俗音楽に基本を置いた、シナウィとパンソリが発達しながら、散調音楽が誕生したとされる。

★=竹冠に今

[朝鮮新報 2008.11.14]